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孝行したい時にいる親とは

今週もお疲れ様でした。あなたの努力は理解されにくいかも知れませんが、見ている人はきっといると思います。

さて……

一般には「孝行したい時に親はなし」と言われる。「親のありがたみがわかって孝行をしようと思う年頃には、すでに親は亡くなっている」との意味だとされる。

でも、年頃だけの問題ではない気がする。子供でも母の日に肩たたき券を上げたり、自分の小遣いを貯めてカーネーションを買ったりする子はいるからだ。若い人が皆、親のありがたみを分かっていないとも思えない。

更に考えると、若い頃には金も暇もない場合が多い。そうなると、必然的に自分自身の生活のためだけで精一杯になりがち。しかし、ある程度世の中で生きていく内には、若干とはいえ生活にも余裕が出てくる。

昔は平均寿命も短く、50~60代で亡くなる人も珍しくなかった。そうなると、自分の生活に余裕が出る頃には,親が世を去っている場合もあっただろう。様々な事情はあるにせよ、親が世を去っていることはあり得るのである。

このことわざが生まれた頃と今は時代が違う。極端な例では、老老介護という言葉があるくらい子が老人になるまで親が長生きすることも珍しくない。しかも、昔みたいに食うや食わずの状況の人は少ない。

この点では、孝行したくなった時に親がいる人は多いはずである。そして、実際に何かできる場合が多い。ただ、その時間が昔とは違ってかなり長いのである。

ただ、長生きをすることは身体や精神の健全までは保証しない。そういうケースの増加は意識する必要がある。

半世紀以上一緒に生きてきた私の名前を、結構な確率で言えなくなっている母、しかも何度面会しても、会ったことをきれいに忘れて「全然顔を見せてくれない」と毎回言われてしまう。

こうなると、子として何とかしてあげたい気持ちと、どうにもならない現実が心の中でせめぎ合う。そういう葛藤をジッとこらえるのが男の修行だと言い聞かせながら。

お読み頂き、ありがとうございました。



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