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若さと老いの間で思うこと

今日はそれほど暑くなく、雨も一瞬パラついただけでした。それだけに蒸し蒸ししています。でも、この程度は夏の当たり前の範疇だとわきまえることにしました。

さて、……。

「若さ」という言葉は、肯定的なイメージを伴う。これに対して「老い」という言葉についてはどうだろう。率直に言って、肯定的なイメージを伝える言葉は少ない。強いて言えば「老練」「年の功」くらいであろう。

もちろん若さは万能ではない。若いがゆえの経験不足や視野の狭さによる失敗というのもままあること。でも、若い場合はそれも一人前になるための必要課程という見方をされることが多い。大目に見られてしまうのだ。

但し、未完成・未経験といった点は、成長にそれなりの時間が掛かるという見方はされる。

中国の三国時代、劉備に仕えた二人の軍師がいた。諸葛孔明は臥龍、龐統は鳳雛と称された。これについて作家の陳舜臣さんが「臥龍は臥した龍、鳳雛は鳳のヒナなので、既に成長している臥龍の方が即戦力」ということを小説の中で表現されていて、なるほどと思った。実際、鳳雛は三国志の早い段階で戦死してしまう。

未熟については「後生畏るべし」という将来の成否不明な点についても成長するものとして期待を込めた言葉がある。しかるに、老醜にはぶっちゃけ擁護する言葉がない。私が無知なだけかも知れないが、老いに対して厳しい言葉が多い。

でも、実際は社会において活躍するお年寄りは多いし、会社の経営に携わる役員も会社が大きいほどある程度年齢を重ねた人が就任している。この点、それなりに検討された結果であることを受け入れねばなるまい。

若年者の声を取り入れようという意見はある。でも、名のある会社ではそれを実際にやった場合の得失を検討した上で、若者を経営に参画させていない。これが実態である。

「もう若くないし」「年寄りなんだから大人しくしていよう」という老人の声に加え「無茶しないでくださいよ」「ここは若手に任せて」という若者の声もあるのだけど、まだまだ社会の主導権は老人側にある。

これを打破してほしい気持ちと、そうなったらますます自らの居場所と存在意義がなくなる不安な気持ち。その二つが私の心の中で交錯している。

もっとも、年齢だけで人を判断するのも時代にマッチしなくなっている。しなやかな感性、柔軟な思考、強い好奇心、素直な人柄を兼ね備えた人は、年齢に関係なく若いと思うし、自身もそうありたいと願っている。

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