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願望を当然のものとして前提にするのはやめよう

日々人々の営みは続いていく。時間外勤務はそろそろ一区切りついてもらいたいですが😅

さて、……

新年度、会社ばかりではなく学校も始まっている。小学校での「呪縛」の筆頭は「みんな仲良く」や「友達100人できるかな」の言葉だと思う。

物理的に同級生が100人もいない場合も多い。それはともかく、仮にいたとしてもその全員と仲良くなれることなどあり得ない。

教育期間で最初に教えるべきことは、このような大嘘と虚構にまみれた願望ではないはず。人には個性があり、個性によって合う・合わないがあり、合わない子と無理につき合わなくてもよいということこそ学ぶべきことではなかろうか。

もちろん「距離を取る」「構わずに放置する」のはありだけど、合わないからといって攻撃したりいじめたりすることはもちろんNG、また自分の価値感に合わさせようと教育・強制するのも不可だと伝えるべきである。

精神年齢の高い子は、仮に先生が「みんな仲良くしましょう」と言ったところで面従腹背してやり過ごすこともできる。でもそうでない普通の子は、意外とこの願望的理想論と現実の間で悩むことになる。

できない自分が悪いのではないかと、自分を責めるケースすら出てくる。

やがて、自身が成長して振り返ったときに「やっぱりこんなの無理なことだったじゃないか」と気付くのだけど、なぜこのような無茶振りを先生が教え続けるのかは疑問。指導要領に児童に教え守らせるよう書いてあるのだろうか。

ちなみに中学校に上がると、先生方は社会に出るための準備段階だとしてやたら校則を厳しく守るよう言ってくる。中学に上がって急に方針が変わるというのも宜しくないし、小学校から社会の実情を教えるべきだと考える。

具体的には、社会では当たり前にできるグループを無視せず、その存在を前提とした人との付き合い方を最初から教えるべきだと申し上げたい。

みんな仲良くして欲しいという願望を持つことは否定しないのだけと、実際の世の中で起こっている現実を無視すると大抵ロクなことにならない。むしろ日本の情の悪い部分が助長されるのを危惧する。

素直に「みんな違ってみんな良い」を認めるところから、始めるべきである。

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