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海碧く緑濃き沖縄で行われた戦没者追悼式に思うこと

今日はほぼ雨でした。娘の進学先候補の学校説明会があり、それに参加する妻と娘を駅まで車で送ったり、いない間にメモ書きされた食品等を買いに行ったり、戻ってきた妻子をまた迎えに行ったりと、それなりに忙しい一日となりました。

さて、……。

今日は沖縄戦から79年目の「慰霊の日」である。糸満市では沖縄県主催の戦没者追悼式が開かれた。

沖縄戦では当時、4人に1人が命を失ったという。私たちはこのような多くの戦没者の犠牲の下に今の日本があることを、しっかりと受け止めなければならない。

年に1度の追悼式で効果があるのかと問われるかも知れないけど、やらない選択肢はない。平和を考えるためには必要な行事だと思っている。

沖縄については、2年前に以下の記事を書いた。

この記事でもふれたのだけど、

南部戦跡から垣間見える沖縄の海は、あくまでもエメラルドグリーンで美しい。こんなにきれいな景色のところで、日米はなぜ死闘を繰り広げたのだろう。本当にそう思った。

リンク記事の一節

は今でも全くそう感じる。南海の楽園と言うに相応しい美しい自然の中で、双方が死闘を繰り返したのだけど、そのことにどれほどの意味があったのだろうか。当時、誰もそのことを考えなかったとは思えない。

もし自然の美しさに心が向かなかったとしたならば、それはまさに戦争の「劫」である。忙しいは「心を亡くす」と書くが、生死の境に身を置くことになれば、やはり周囲の自然に心を向ける余裕はなく、心を亡くす状態に陥る。

日米双方が修羅となって戦った沖縄戦は、6月23日に日本軍の組織的な戦闘が終わった。それは沖縄戦で第32軍を指揮していた牛島満中将の自決の日であり、これを以て慰霊の日と定められたのだけど、既に情報連絡が寸断された中で、各地に留まった日本軍はなお散発的な戦闘を続けた。

沖縄戦については、日本軍の非道な振る舞いがよく取り沙汰される。このこと自体は否定できない事実であり、後世に生きる私たちはそのことをキチンと受け止めるべきだと考える。

ただ沖縄が戦場となったことについては、当然米軍が攻めてきたという事実を踏まえる必要がある。日本が沖縄を攻めてくれと言ったわけではない。

米軍としては、日本の南方戦力と本土の遮断、日本本土や中国に残留する日本軍と戦う橋頭堡を確保可能な地点として、沖縄を抑えることが必要だと考えた。

これも上記の記事で書いたのだけど、

那覇を中心にすると、東京とマニラと香港がほぼ等距離になる。かつての琉球は、この地の利を活かしていた

リンク記事の一節

ことを踏まえると、戦略的に沖縄の制圧が必要だと考えられたのはやむを得ないことであった。

そのために多くの悲劇が生まれた。だからこそ、そもそも戦争をすべきではなかったと改めて感じる慰霊の日である。

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