選挙での投票は、自分の幸福追求の取っ掛かり
今日は送別会があり、投稿もこんな時間になってしまいました。帰路はすでに雨です。いざ降られると結構きついですね。
さて、……。
3/24、熊本県知事選挙が実施された。無所属ではあるが自民・公明の両党が推薦する木村氏が当選した。
本件について、元々自民党が強いお国柄だからということもできるのだけど、やはり副知事としての実績が評価されたと考えるべきなのだろうと受け止めている。
長期低迷している内閣支持率にあえぐ首相にとっては、この選挙結果は少し愁眉を開く結果であっただろう。
投票率は前回よりも上がっている。その中で元熊本市長でもある次点者に10万票の差を付けての勝利であることを考えると、それだけ期待されていると受け止めるのが素直。
私は常々「選挙に行きましょう」「自分の意思を投票で表明しましょう」と申し上げてきた。その思いは今も変わらない。
これまで、どちらかというと政権に批判的な投稿が多かったのだけど、それは批判すべき点があるから。政党のイデオロギーはあまり関係ないので、この点は御理解賜りたい。
ただ、現状に不満を言う前に、やるべきことをまずやることが必要だと考えている。その一つが選挙での投票。逆に、選挙にも行かず、現状への不満を垂れているだけというのは頂けない。
実は、憲法は幸福権を保障してはいない。幸福「追求」権を保障しているのみである。これ、意外と誤解されている。
内心の自由も憲法で認められているが、これは唯一公共の福祉の制約を受けない自由である。だから、個人としては幸福を感じる状態もさまざまということになる。
このことは、国が「これが幸福な状態だ」と一律に定めることはできないということでもある。ゆえに多様な幸福の形を認め、各個人の幸福を追求する権利を最大限尊重するという形をとった。
シビアに捉えると、国はあなたを幸せにしない。但し幸せになろうとするあなたの妨げはできるだけしないというスタンス。
端的には三百六十五歩のマーチの一節「♪しあわせは歩いてこない だから歩いてゆくんだね」の通りである。
このことを理解できていれば、自らの幸福追求のためにも、選挙には行くべきということになる。
「選挙に行ったって何も変わらない」というのは一面の事実ではある。行けば必ず何かが変わり、あなたが幸せになるという確率は低い。
でも、これは個人の幸福追求という行為が必ず幸福を達成できるとは限らないのと同じ。とはいえ、可能性を自ら閉ざすのはお勧めしない。可能性を信じて行動する中で、少しずつ変わっていくものではないだろうか。
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