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亡父の腕時計の復活

空き家となった実家の座卓の上に、亡父の腕時計が置かれていた。

主人を失ったその腕時計は、亡父の死後も数年は動き続けたのだが、前回の母との面会時に実家に立ち寄った際には止まっていた。この時点では電池を替えたら動くだろうとの楽観があり、姉から「それは自分は不要」との言質を得て持って帰った。

自宅近くの時計屋に持ち込んで見てもらったのだが、そもそもリュウズが錆びて固まって動かない、中も恐らくかなり錆びているだろうと言われた。オーバーホールは必須で、費用も3万円以上はかかるとも。

古い時計であり、敢えて修理せず放置することも考えた。元の値段を考えると、修理費用にある程度足せば新品が買えるという計算もあった。

経済合理性を考えればそちらの方が正しいだろう。でも、やはり父が生きた証であることを考え、修理をお願いした。

「大きな古時計」という歌がある。平井堅がカバーして更に有名になった歌だが、故人の愛用していた時計は、故人と共に時を刻んだ存在であり、遺族の思い入れが入り込みやすいのではないかと思うのだ。その思い入れに、私も押されたのだ。

時計が戻ってきた時、その時計は再び命を込められて、私たち家族とともに新たな時を刻むことだろう。それは、父の供養にも繋がるのではないかと思っている。

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