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「祖国のために戦う」ことの空疎さとそれを補う家族や恋人への思いと

今日は、JR東日本管内の新幹線が運休する事態となりました。架線が垂れ下がっていると言ったネットニュースが流れる一方で、復旧のために活動していた作業員が感電したとの情報もあり、かなり深刻な事態であることが分かってきました。

さて、……。

櫻井よしこさんの以下の問いかけが、かなりの物議をかもしているようだ。

これに対するネットの反応は、基本的には3パターンあると私は認識している。
①戦場に行かない人が言うな。
②戦争前提がそもそもおかしい。戦争にならないようにするために外交がある。
③聞き方が雑。この問いに至る経緯や置かれている状況が定義されなければ答えられない。

それぞれの反応について私の感想を述べると、以下の通りになる。

①について。
こう突っ込みたくなる気持ちは分かるが、問いに答えていない点でイマイチ。
②について。
この批判はごもっとも。ただ、外交努力で解決できなかったことはこれまでもあった。ロシア・ウクライナの戦闘状態を言うまでもなく、外交は万能ではない。
③について。
基本的に自分としてもこの立場。

本件に係わり思い出したのは、2005年に公開された「男たちの大和/YAMATO」という映画。もう20年近く前になるのかとちょっと遠い目になってしまうが、この映画のキャッチコピー「もう会えない君を、守る。」があまりにも秀逸で、今でも記憶に残っている。

「御国のために」「天皇陛下のために」と口では言いつつも、心の奥底にはまぶたを閉じると浮かぶ家族や恋する人がいた。そういう人たちを守ろうという思いを胸に戦場に赴いていたのではないかと考えると、それがスッと心に入る。

祖国と言われても、所詮は概念。人は概念のために命は掛けられない。でも、祖国に住む係わりのある人を守りたいという思いはあり、それが戦う決意を持たせるのに不可欠。

櫻井さんの問いは、そういうことまで想像できていないように感じたし、それは言論人としていかがなものかと思っている。質問の意図を明確にしない問いはやはり雑だと評価せざるを得ない。

実は昔、浦戸の予科練にいた父に話を聞いたことがある。特攻を命じられる可能性があったと思うが怖くなかったのか、と。それに対して父は「あの頃はそういう教育を受けていたしそれが当たり前だった」「怖い、怖くないなんて考えなかった。そういうものだったんだよ」という回答だった。

ひとことで言えば洗脳であり、かつ浦戸の予科練ではもっぱら土木作業と農作業に明け暮れていて命の危機に直面することはなかったとのこと。当然、父母兄妹の顔が脳裏に浮かぶこともないことからこのような答えになったと受け止めている。

なお、最近の祖国の状況を冷静に見て、祖国を守る戦いは自らの命を賭けるに値すると思えるだろうか。この問いの方がクリアなように思う。

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