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好奇心を失うと考えるのが面倒になるのですね

今日も昼休みには燦々と照りつける太陽を感じながら昼食を食べにいきました。空腹に不味いものなしとは言いますが、空腹に熱中症リスクは考慮せず、でもありますね。

さて、……。

私が若い頃に一緒に仕事をした方からは、社内のいろいろな作法を教わった。また年齢が近いこともあり、職場が別々になった後もたまに連絡を取っている。

先日、ちょっとしたことについてその方の意見を聞いてみたいと思ってメールを送った。すると、「その件は、ずっと前に学会で偉い先生方が議論していけると判断されているから大丈夫」というような返事が返ってきて、ちょっとがっかりした。

私はその方の明晰な頭脳に期待していて、どんな回答が来るかとワクテカしていた。でも、この答えにはそういう私見が一切入っていない。わかりやすく言えば、偉い先生の意見なので内容はとも書くまるっと受け入れるということである。

昔はそういう答え方をしなかったよなあとちょっと驚くとともに、やむを得ないかとも思った。年を取ると、やはり探究心が薄れるのだと理解した。

知りたい、理解したいという気持ち。読者の中には、子供から質問攻めにされて閉口した方もおられると思う。こういう知的好奇心は、誰もが幼少時から持っているもの。それをむき出しにして質問されると、結構辛い。

でも、大人になるにつれてそういう気持ちもしぼんでいってしまう。そして、オジさんになると「どうでも」とまではいかないが「まあいいや」と流すことを覚えてしまう。そして、専門家とはいえ他人のオツムに乗っかってしまうようになる。

これは能力の問題というよりも好奇心の問題。好奇心があれば、わからなくても「何でだろうねえ」と一緒に考えてくれたはずだと私は思っている。

私が知りたいのは理屈。世の中的に妥当かではない。理屈のない答えは、私の中には入り込んでこない。今回の件で、その方との距離が少し離れたような気がした。

人間は皆平等に年を取る。でもそれは、年齢という客観的な数字に過ぎない。やはり年の取り方は人によって違うし、それは必ずしも年齢に従って順番に変わっていくたぐいのものではない。最後は個体の差が出てきてしまう。

これは全くの私見だけど、好奇心を持ち、新しいものを理解しようとする人は、多分外見も若いのではないかと思っている。子供の頃の感性を持ち続けているのであり、そういう生き様は外見にも現れると考えている。

仮に若く見られなくても、知りたい気持ちが満たされれば嬉しい。この喜びを感じる機会は多い方が良い。私はそう思う。

お読み頂き、ありがとうございました。

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