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有料老人ホームのチラシを一通り見るようになった

日々の仕事に追われているうちに、徒らに時が過ぎ、老いも深まってきますね。

さて、……

私の母が老人ホームに入居して、3年半が経つ。しかしながら、何とか母が落ち着いて生活できようになったのは、2年が過ぎてからのことである。

その原因について、私は父母の夫婦仲の良さが仇になったと考えている。「何を言っているの?」と思われるかも知れない。でも老後の夫婦仲の良さは、つれ合いが生きていればこそ意味があることだと思う。

夫婦仲なのだから、つれ合いが亡くなれば良いも悪いもなくなる。当たり前のことである。ただ、仲が良いと敢えて他の人を求めて付き合いをしようとはしなくなる。これがつれ合いの死を境に逆に作用するのである。

そもそも、日本の治安の良さにあぐらを掻いてしまう人が多いのだけど、老人の1人暮らしは危険だとの認識を持たねばならない。暴漢が襲撃してきた時に、老人一人では防ぐ手段がないからだ。

周囲の家もお年寄りばかりである場合、その耳が遠くなっている可能性も大いにある。助けを求めれば誰かが来てくれると考えるのは危険である。だから、一人暮らしは避けて然るべき施設で介護を受けるべきだと考える。

この点夫婦仲が悪ければ、つれ合いが死んだ後のことも生前から考えられる。やむなく一緒に暮らしていても「つれ合いが死んだらああしよう、こうしよう」と思いを巡らせられるのだ。

もちろん、それが良いことかと問われると悩んでしまう。でも、つれ合いが死んだ後のことを考えられるのは、次に備えられることでもある。

その場合に、不仲な相手と長年過ごした家に留まりたい人はそう多くないだろう。これは私の臆測に過ぎないが、そうなる確率は高いと考えている。

そうであれば、老人ホームへの入居も頭の片隅には浮かぶだろう。身体と認知が健康なうちに施設にお世話になる選択を検討できるのは、不仲の功名だと言っても良い気がする。

仲が良かった連れ合いとの思い出を胸に抱いて生きる。このこと自体は美しいと思う。でも、それが長く続くとは限らない。一人暮らしで誰とも接触しない生活は刺激も少なく、どうしても認知の面で良くない影響が出てくる恐れがある。

実際、私の母は一人暮らし一年で足の骨を折って入院、その後老人ホームのお世話になった。しかし新しい環境になじめず、認知症が進んでしまった。

このような前例を間近で見ただけに、老人ホームのチラシは我が身の将来を考える際の資料として目を通す癖がついた。まだ先、との発想は、持ってはいけないと肝に銘じている。

お読み頂き、ありがとうございました。

読んで頂いただけでも十分嬉しいです。サポートまで頂けたなら、それを資料入手等に充て、更に精進致します。今後ともよろしくお願い申し上げます。