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再び務めた喪主を取りあえず終えての雑感

年末調整、今年からシステム化されてかなり楽になったのですが、それでもちょっとこれでよいのか不安になります。明日再確認して提出までこぎ着けなければなりません。いざとなったら確定申告で何とか、と考え始めています。

さて、……。

先般から記事にしてきているように、母がこの世を去った。享年は90歳を超えている。

亡父が亡くなったのはまだ平成であった頃のこと。それから6年半以上が経過している。年齢から考えても女性の平均寿命を持ち上げるまで生きたのだから、大往生だったと言ってよいはず。

実際、母方の家系の同世代の中で、トリを務めることとなった。同世代で他に存命者はいない。

生前の母は、その父母(つまり、私の母方の祖父母)がいずれも70代前半で亡くなっていることを意識し、「私もそう長生きしないよ」と言っていた。長く生きるのは欲深だからと思っていた節もあった。

でも、結果的には一番長生きした。もしかして、一番欲が深かったのだろうか? と疑ってしまう。この手の話は言った者が負ける気がする。

正直なところ、母の最晩年は幸せだったかと疑問を感じる気持ちもある。夫婦仲良く暮らしてきたのはよかったが、その夫に先立たれ、骨粗鬆症により足の骨を折って入院し、独居は無理と判断されて施設に入居。施設に馴染みきれずに、ストレスから認知症を発症。

私は3ヶ月に2回程度は顔を見せに行っていた。しかしそのたびに「もう何年も顔を出さないで…」と批判的なことをよく言われた。単に前回顔を合わせたことをスカッと忘れてしまうだけなのだけど。

この他罰的な発想は、どこから生まれていたのか。少なくともそんなことを考えても楽しくないはず。もしかしたら自分も歳を取った時にそうなるのかと考えて、ちょっと怖くも感じている。

認知症の初期に、疑心暗鬼が募ることはよくある。例えば「アレはどこ行ったっけ?」と思ってものを探すことはあなたにもあると思う。ただ、その時に誰かに盗まれたとは思わないはず。

でも、認知症の人は「誰かに盗られた」と思い込むことが多い。自分がどこかに置き忘れたとは考えられなくなるようだ。そうなると、周囲との軋轢も生じがちになる。

善意の手伝いで痛い目に遭うこともある。カバンの中のものをなかなか出せないので出してあげようとすると「取るのか?」と疑われてしまうこともある。文字通り、恩を仇で返されてしまう。

だから、施設では個人にお金を持たさない。絶対に盗った盗られたの争いに繋がるからだ。そもそも、施設内での生活はツケ払い可なので現金は不要。現金は単に災いをもたらす存在になる。

自分に落ち度があるかも知れないと考えられるのは、認知症になっていない証かも知れない。そう自分を納得させている。

葬儀を終えても、やることはそれなりにある。

土地・家屋の売却のため、とりあえず姉と話してどちらか一人の個人名義に変更する、つまり所有権変更登記申請の準備を始めなければならない。一方で、今回は相続税が発生しない。また、そもそも非課税世帯であるため準確定申告も不要。

父の時に比べて、手続き面ではかなり負荷が下がるはず。ただ、新たに実家の買い手を見つけねばならない。本当に売れるのかは全く不知だけれど、やってみるしかない。

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