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ネットで誹謗中傷、(·A·)カコワルイ

朝の冷え込みが一段と進み、冬の到来が間近なことを感じます。

さて、……

先日、こんな記事を見かけた。

ネットにおける「意見」の書き込みについては、昔から議論がなされてきた。私自身、ネット上で絡まれた経験はある。

今の若い人にはなじみが薄いのかも知れないけれど、20世紀末にひろゆき氏により開設された2ちゃんねるという電子掲示板は、不特定多数の人による雑多な「意見」が飛び交う場所として注目された。

そこではありとあらゆるネタについてスレッドが立ち、真偽不明のカキコ(書き込み)とともに誹謗中傷も飛び交う、まさにカオスであった。しかし、その分加工されていないカキコの持つパワーを感じたのも事実。

落語「目黒のさんま」で明らか(この例えが正しいかは、自分も多少迷いがある)なように、上品に加工されたものよりも野趣あふれる方がインパクトが大きいのだ。

冷静に振り返れば「逝ってよし!」というネットスラングも、その意味を考えれば不穏当な内容である。それでも当時は、ちょっとおどけてオブラートに包むというたしなみがあったのも確か。

今のSNSとの最大の違いは、掲示板は見に行かなければそれで済んだということかと。いくらネット上で意見を戦わせても、リアルとは別だという認識を持てた。

しかしSNSの場合、メンションが飛んできたことを示す通知が送られてくる。それも見なければ良い、あるいは通知設定をオフにすれば良いと言えばそれまでだが、それで済まない場合はある。

そのアカウントが一つの議論のための捨てアカであるならともかく、大抵は他のことでも繋がっているからだ。時にはフォロワーに累が及ぶ可能性もあるし、過去の写真や属性から本人の特定が行われることもある。

もちろんこれは諸刃の剣で、誹謗中傷してくる側の人間も同じである。発信者情報開示請求をされてプロバイダーが情報を開示すれば、自分のしたことが我が身に返ってくることも十分にあることに意を払わねばならない。

本来、意見の違いはあってよい。でも、その違いがあるからと言って相手の人格を否定したり誹謗中傷したりする必要はないはず。そういうやり方で優位に立とうというのは、議論の仕方として稚拙であると言わざるを得ない。

やはり「面と向かってできないことは、ネットでもやるべきではない」ということだと思う。

お読み頂き、ありがとうございました。

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