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日本のいびつなレジリエンス

レジリエンスの原義は「復元力、弾力」。昨今では、何か不具合や困難があっても、柔軟に適応して乗り越えられる能力のことを意味すると認識している。

例えば、「昨今の我が社を取り巻く環境の変化はめまぐるしく、我々はレジリエンスを発揮してその変化のスピードに追従していかなければならない」といったように用いられる。

確かに、いつまでも昔のやり方の踏襲のみでは事業が先細るのは明らか。でも日本の場合、レジリエンスの発揮方向が「お寒い側」に傾きがちだと感じている。

つまり、大抵はなぜか社員側が従来よりも我慢を強いられる形での対応が多くなると感じているのだ。

より少ない人間でできるようにする、時間外勤務数を増やして対応する、或いは下請の発注額や材料の納入価格を下げさせる等、従来のやり方の枠組みを少し変えるだけ、キツく言えば小手先の変更に留まりがちではなかろうか?

それも確かにレジリエンスの発揮ではある。現状の形を大きく変えずに何とか利益を確保しようとすれば、対応がそうなってしまうのもやむを得ない。しかし、それはやはりいびつだと感じる。

本来、変化はチャンスでもある。更に大きく利益を稼げる機会がやってきたと捉えることもできるはず。でも、今の日本で、機を捉えて大きく体制や工程を見直す対応はマレであろう。

その理由は、ボトムアップにあると私は考えている。下の意見を吸い上げると言えば格好良いのだけど、下の者はそれぞれの持ち場最適な発想になりがち。

だから、多くの組織や関係各社にまたがるような大きな変更を思いつきにくい。また、他社や他部署に口を出すことにもためらいが生じてしまう。

どこが急所で本質なのかは、やはり全体を見ている立場の人間でなければ気付きにくい。ただ、全体を見ている人間は社内での地位もそれなりに高く、もしその人が守りに入れば、自ら立案・実行するリスクを負うこともない。

しかも、リスクはリスクであるがゆえに、それを負って動けば必ずうまくいくとは限らない。だから結局、全体の中でリスクを負う行動を取る人が少なく、更にその中で成功した人は少ない、という状況が多勢を占めてしまう。

これは、新規のチャレンジに対するインセンティブと責任の帰し方を変えない限り、現状を変えるのが難しいだろう。まさにトップの覚悟が問われる事態だと考える。



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