老害とお年寄りの知恵の間
今日は朝から雨でした。午後からは上がると聞いていたのですが、降り続きました。帰宅時にやんでいて助かりました。
さて、……
長寿番組についてのネットでの評価は、総じて低い。
「いつまでも同じ顔ぶれで新鮮味がない」
「新しい人が育たない」
「事務所の人間を番組スタッフに送り込んで牛耳っている」
等。
更に
「番組の進行もできなくなっている」
「そろそろ代わるべき」
等の意見も出されていて、それらも含めて
「老害」
と切り捨てる論調が多い。
残念ながら、これらの意見に対して真正面から反対することはできない。但し、どちらかというと老いた側にいる私としては、忸怩たる思いがある。
一つ言えるのは、老人の能力の減退をあげつらうのはフェアではないということ。その部分については、一定の裕度は見るべきだと思うのだ。若い新人のミスには寛容だが老人は許さないというのは均衡を欠く。
一方で、老人が人に接するスタンスについては、老人側で反省すべき点があると思う。
「年上の人間の言うことに従っていれば良い」
「口答えなどもってのほか」
「上に気を遣うのが当然」
というのは、もう通らないと思う。
もちろん人としての礼節というのがあって、長幼の序を全否定はしにくい。でも、絶対のものにするのも行き過ぎであり、より緩やかであるべきだと考える。
そもそも、老人は社会に多くの貢献をしてきた存在である。だからこそその功に対して払うべき敬意というのがあるべきなのは確か。しかし、それは自然ににじみ出るのが望ましく、強制等すべきではない性質のものだろう。
そして、年を取るということは自身で経験したできごとが多いということでもある。脳内で補うこともある程度はできるが、リアルな体験には絶対に追いつけない部分がある。だからこそお年寄りの知恵はありがたがられる。
時代劇では、お殿様が村の古老に意見を求めるシーンが登場することがある。それはやはり、お年寄りの知恵は有用だと思われていたからに他ならない。
ネット上では意見も極端から極端に振れがち。穏当な中庸の意見は人目を引かないのでやむを得ない面はあるものの、多分妥当な結論は両極端の間にあると思っている。
なお、昔は良かったというお年寄りが多いけれど、昔は隠居制度があった。ミスを繰り返すようになる前に、自ら出処進退を決めていたのである。
厳しいけれど、今のお年寄りにはその覚悟があるのかも問われている。
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