老いた後の読書

長編小説を読みたいと思いつつ、時間が取れないことで先送り。定年になったら、読書三昧の時間を送りたい。

――そういう願望を持つ人は少なくないだろう。私自身もそう思っていた。

しかし、施設に入った母の様子を見ていると、翌朝になったら前日に読んだ内容を覚えていられるか、登場人物の人名を見てすぐにそのキャラも浮かぶように記憶できるか、にかなり不安を持つようになった。

よく言われる通り、母は最近のできごとの記憶を、本当にすぐに失ってしまう。これは、できごとの大小に関係ない。親戚の物故者について伝えても、やはりすぐに忘れてしまう。だから、その人の話をする度に「え、あの人亡くなったんだ!」と驚かれている。

また、個々の事実は確かであっても、主語が微妙に変わっていることもある。私についての記憶の一部に、従兄に関わる記憶が混ざっているし、母の頭の中では、私の居住地もなぜか母の出身地になっている。

こういう経験をリアルに繰り返すと、記憶の不全は自分にも起こりうる、と感じるのだ。

年を取ると自由に使える時間ができるのは確かだ。でも、それが本当に活用できる状態での時間かも考える必要がある。読書をしていても、恐らく最初のうちは何とかなるものの、いずれドストエフスキー等の外国の大作は、上述の理由から高確率で立ち往生して挫折してしまうだろう。

では、何をすればよいのだろうか? その答えは、これから探すしかないだろう。なかなか思いつかないのだが。

読んで頂いただけでも十分嬉しいです。サポートまで頂けたなら、それを資料入手等に充て、更に精進致します。今後ともよろしくお願い申し上げます。