幻となったわが家の家族葬

こちらにお越し頂き、ありがとうございます。
あなたのお役に立てれば、幸いです。

さて……

実は、亡父が(若干)信仰に目覚めたのは死の数年前からのこと。それまでは、無神論者であった。

だから、父はそれまでは「自分の葬儀は、家族葬にしよう。だから、お坊さんも呼ばなくてよい」と言っていた。でもそれなら、葬儀の時に何をやったら良いのかという話になる。

これに対し父は、「お前が葬儀にふさわしい音楽を選んで、かけてくれれば良い」と言い出した。

まあ、ふさわしい音楽はいくつか心当たりもあるのだけど、弔問客に何をやってもらればよいのか? については謎のままであった。

宗教色を排除するにしても、完全にそうするとお香すら焚くのがためらわれる。かといって、結婚式のように生まれてから亡くなるまでの写真のスライド上映というのも何だかなあ、とは思っていた。

その後、なぜか郷里の墓を仕舞って今の実家近くへ移転することを考えた父は、その過程で気がついたらにわか仏教徒になっていた。そのため、父の思いつき家族葬(案)が日の目を見ることはなかった。

今考えると、この幻となった非宗教の家族葬をやるとしたら、私がかなりきつかっただろうと思う。

結婚式は、数ヶ月前からプロと相談しつつ相方ともすり合わせをして何をやるかを決めていく。しかし、葬儀はそうではない。プロはいても、急に来たその時に即断即決していく必要がある。親の死で動揺している時に、その負荷は大きい。

やはり、慣習的に定まっていることを、淡々とこなす方がはるかに楽だし、参列者や周囲の理解も得やすい。

焼き場での待ち時間に亡父の言葉をふと思い出し、そのようなことを考えていた。

お読み頂き、ありがとうございました。

読んで頂いただけでも十分嬉しいです。サポートまで頂けたなら、それを資料入手等に充て、更に精進致します。今後ともよろしくお願い申し上げます。