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自分で自分を見切ることは常に難しい

今日は何かツイていない一日でした。まあ、そういうこともあるよね、と流すしかありません。

さて、……

仕事でうまくいかない時に「自分はダメな人間だ」という言葉が脳裏に浮かぶこと。恐らく多くの人にアルアルだと思う。でも、それで本当にダメになったことは意外と少ない。上司や周囲のサポート等を得て、何とか話が進む方がはるかに多い。

そして、自分自身も心の底から「自分はダメな人間だ」と思うことはマレで、しばらくすれば「客観的に見ればそれほど酷くはないのではないか」「以前の某氏の失敗に比べれば大したことない」等と自己弁護してしまう。

これが人間というものなのだろう。

実際、自分で自分を見切ることは、社会人生活を送っていても滅多にない。そして、その滅多にないことが起こった人の中には、電車の正常な運行を妨げる行動に出てしまう人もいる。

そう考えると、自己弁護バンザイではなかろうか。自分を追い込んでもメリットがないことに、気付くべきだろう。

社会人生活はそうやってやり過ごしたとして、これとは別の断面で自分で自分に見切りをつけなければならない時がいずれくると思っている。加齢につれて多少なりとも認知能力が低下していくからだ。

認知症で老人ホームに入居している母は、もう私の名前を言えない。既に忘れられている。会えば家族であるという認識はまだ持てていることが分かるが、従兄のエピソードと混濁したことを言うことがあり、若干のあやしさを感じている。

こういう状況を見ているので、自分もいずれはそうなるかも知れないという意識を持っている。だから、その時には自分も家を出て家は売却、母と同様に老人ホームに入居しようと考えてはいる。

ただ、本当に認知症になってしまったら、家の売却のようなややこしいことには対応できない。だから、実際は本当に認知症になる前にこれらのことを片付けなければならない。

冷静に考えると、これってかなりパラドキシカルな状況であることに気付く。後から振り返ればあの時にやっておけば良かった、ということにはなるものの、ギリギリのタイミングを見定めることは自分でもできない。

結局、「自分で自分を見切る」ことで手続を開始するしか方法がないのだけど、それは至難の業である。

以上をまとめると、会社で働いている時も、リタイアして終活を意識した時も、自分で自分を見切ることは難しいということになる。

それはやはり「自分が可愛いから」というぶっちゃけ話にしかならないのだけど、それも含めて「人間だもの」と言い切るほかはなさそうである。

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