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人間が皆、創造的な仕事に就けるかを考えないと

夕方、小雨がパラつく中を帰宅中です。梅雨だから仕方がないですね。

さて、……。

ChatGPTが注目され持て囃されると、雑誌でもネットニュースでもそればかりを追いかける風潮。そして「人間の仕事はいずれ半分がなくなる」「人間は人間にしかできない創造的なことをやればよい」的な意見が出てくる。

ちょっと極端なことを言ってみたい。自分が前々から思っていることなのだけど、もしみんながITプログラマーやゲームクリエイターになったとしたら、社会生活は成り立つだろうか。

お米を作る人、魚を捕ってくる人、服を作る人、建物を作る人、ものを運ぶ人等いずれも必要だし、いないと困る。どんなにIT化しても、衣食住に必要なものを物理的に生み出す仕事、運ぶ仕事はなくならない。

もちろん仕事の量、もっと言えば従事する人数・工数は減るかも知れない。しかし、ゼロにはならない。

つまり、人間がすべて「創造的なこと」に従事することはない、というかできないはず。

加えて、昨今の災害の増大を考えると、その分野をAIに任せるのは危険だと考える。電力がなければAIは基本的に動かない。大災害があったときに、AIがキチンと機能しない可能性はかなり高い。

AIの最大の欠点は、線形分離で思考していること。正答がある場合には人間よりも早く到達できるのだけど、初めての課題に対する処理能力は未知数である。

もちろん、人間であっても結果として間違っていたということはあり得るのだけど、過去の解決事例が当てはまらない新規のものについては、過去の事例の学習内容に照らし合わせるAIよりも、人間の方が優れる場面はあると思っている。

古いオジさんの戯言で、やはりAIが何でもやってくれる時代が来るかも知れない。

でも、その時にはベーシックインカムが導入されているような気がする。そうじゃないと生活できない人が溢れかねない。

全ての人が最低限の文化的生活を営めるようになっている可能性が高いとするなら、悪いことではない。そんなことを考えてしまう。

お読み頂き、ありがとうございました。

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