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「全国民を代表する」を生かしたお金のかからない意識付けの提案

今日は一日濡れずに済みました。ただ、ちょっと蒸し暑かったですね。病院ではエアコンが稼働していました。もうそんな季節か……と考えてしまいます。

さて、……。

最近、国会や国会議員についていろいろと気になることがあったので、ちょっと考えてみた。

というのは、元々芸名で通っただけのように思える議員が散見されていたのに加え、最近は全く登院せず参議院を除名された議員、採決を物理的な力で止めようとして負傷させた議員等など、国会議員としてふさわしいのかを改めて考える必要があると思っているからだ。

国会議員については、日本国憲法第43条に規定されている。

第四十三条
1.両議院は、全国民を代表する選挙された議員でこれを組織する。
2.両議院の議員の定数は、法律でこれを定める。

日本国憲法

「全国民を代表する」という表現にはいろいろな解釈がなされる。ただ、ここで言う全国民は抽象化されていると考えるべきだろう。

実際に存在する個人個人の代表とすると、自分が投票した人が落選した場合はどうかという問題が生じる。また、世の中には意思表示できない人がある程度はいる。

わかりやすいのは赤ちゃん。さすがに新生児の意思で選ばれた代表というのは無理がある。それでも、その想像される意思をくみ取っていることにしないと、全国民を代表することにならない。

逆に、反社会的な集団の構成員も世の中には存在している。しかし、当然ながらその意はくめない。

このように全国民を代表すると言いつつも、実際には完全にはそうではない部分が出てきてしまう。抽象化と申し上げたのは、そういう方々もまるっと含まれるものと擬制するということである。

そして、もう一つ。この全国民を代表するという言葉には全国民を代表する「にふさわしい」が含まれるべきだと私は考える。

そうでなければ、自らの行動を規制する可能性もある法律の制定を任せることができない。だから、議員の側にも人と社会に尽くすという思いや最低限の道徳を持っている人がなるべきだと強く思う。

このあたり、昨今の選挙でそうなっているかという視点で今の国会を見ると冒頭に記載した議員等がいて、極めて危ういと感じる。そして、嫌われるのを承知で言うけど、それも国民の選択であるということ。

一つ提案があるのは、報道において「○○法が参議院で可決・成立」ではなく「○○法が全国民を代表する議員で構成された参議院で可決・成立」と記載するのはどうだろう。もちろん衆議院も同様である。

このように書くだけで、ほぼお金を掛けずに国民の側の意識を変えていくことができると思っている。

少なくとも、国民主権が遠い世界のことではなく、我がこととして認識するところから始めたいもの。

お読み頂き、ありがとうございました。

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