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本当に「昔はよかった」のかを考えてみた

今日の暑さは、意識が朦朧となるに十分でした。これが快感になる人はまずいないと思います。でも、もしかしたら変わった人がいて、ドラッグのように意識朦朧遊びを流行らせたら怖いと恐れています。

さて、……。

「昔は良かった」

このフレーズ、最近はあまり聞かなくなったように思う。私はまだリアルで聞いたために通じる世代だけど、私より下の世代ではどうだろう。

失われた30年の間に学生~就職~社会人となった人が多い世代。だから彼らの脳裏・胸中に浮かぶ昔は、それほどキラキラしたものではなかっただろう。そうであれば、この世代が「昔は良かった」と思えないのも宜なるかなと納得する。

正直なところ、これは私のようにその言葉をリアルで見聞きした経験のある人間であっても、客観的にその言葉が当てはまらないことを理解している。

例えば、凶悪犯罪や交通事故の発生件数は昔より今の方が減っている。病気で命を落とす率も下がっている。疑うなら、政府統計等で高度成長期で明るい未来に満ちていたと思われる昭和40年代と今を比較してみれば分かる。

このことは、裏返してみれば客観的な統計に基づく数値だけでは読み込めないものがあるということ。それはやはり気持ちの問題が多分にあることを示している。

「昔は良かった」と思える「古き良き時代」は、自分が主体的に万能感を持って学業や仕事に打ち込めた充実感がセットになって記憶に留まっている。そう考えてはどうだろう。

この気持ちの問題は意外に大きい。客観的には、今に近づくほど平和で生活が脅かされず、公害も減っている。

技術は進歩し、重たいものは軽くかさばるものも小さくなり、手元のデバイスで情報が簡単に得られるのが今の時代。

でも、その今に生きていても、自身の成長過程で意図した学校に進学できず、意中の職業に就けなかったとしたならば、どうだろう。昔は良かったとの感情は持ちにくいのではないか。

これに対しては、単に「昔は美化して記憶しがち」というご意見もあるだろう。でも、過去にいろいろあったよろしくないことも、実際に自分が経験していなければ記憶されないだけなのかもしれない。

犯罪に巻き込まれた、車に轢かれた、公害で健康を害した……という経験をするケースは多くない。そういう割合が今より高くても、自分が遭遇していなければないものとして扱われる。

「昔はよかった」は確率的にそう思う人が多いだけで、昔にも生きにくさはやはりあった、一方で今に生きる大多数は万能感を満たされることがなかったと考えるのだけど、いかがだろうか。

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