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老人ホームでただ今に生きる母

老人ホームに入居している母。普段はどうしているのかが謎であった。

コロナ禍で面会ができなくなるまでは、私や姉が訪問する度に「また来てね」と寂しそうに言っていた。だから、多くの時間は一人で過ごしているのかも、と考えていた。

もっとも、コロナ禍前は1ヶ月強に1回は会いに行っていたのに、「何ヶ月も来ないなんて...」と非難がましく言われたこともある。そう、前回の面会の記憶を保持できなくなっているのだ。

「いやいや、前回持ってきた子どもの写真の日付を見てよ。その日より後に来ているのは分かるでしょ?」

というように、そのリアクションを見越して予め敢えて日付をプリントし、物的な証拠を基に誤解を解かなければならないことが、悲しい。

このような状態なので、「普段はどうしているのだろう?」という疑問が湧いてくるのはやむを得ない。

もうすぐ年度替わり。別件で老人ホーム運営者とやり取りする必要があったので、ついでにそのことを聞いてみた。すると

「食事の際には、同じテーブルの人とお話されたりしていますよ」

という答えが返ってきた。毎日3回の食事は常に固定メンバーであり、それなりに話もできているという。

正直、そういうことができているとは想像できなかった。

ただ、その間に話したことも、恐らく食べ終わって自室に戻る間には忘れてしまうのだろう。

江戸時代の臨済宗の僧・道鏡慧端は「一大事と申すは、今日ただ今のこころなり」と言った。

私はこの言葉を「二度と戻ってこない今を大切に精進すべし」との教えだと理解している、母は、精進はともかく「ただ今」にのみ生きていることは確かだ。

だからと言って悟りを得ているのかというと、そうではない。過去とつながり未来を見通せる中でただ今に集中できるのとは、やはり次元が違う。

読んで頂いただけでも十分嬉しいです。サポートまで頂けたなら、それを資料入手等に充て、更に精進致します。今後ともよろしくお願い申し上げます。