見出し画像

宗教や文化で超えてはいけない部分の存在は意識したいもの

本当は日本式でも今日がクリスマス本番。でも、もう街は年越しに向けて舵を切った感が漂います。クリスマスイブの本来の意味は昨日書いた以下の記事の通りなのでしょう。でも、日本においてはイブが主役になって、クリスマスは後夜祭的になってしまいました。宗教であっても、伝わった先で変容するようですね。

さて、……。

良くも悪くも日本人は積極的に外来のものを取り入れ、自分達に役立つ形に変容させた上で我が物とする。日本にいるとその点をあまり意識しないが、海外の人からするとそれは異端だと思われるくらい珍しいことのようだ。

もちろん、日本人も前例踏襲はする。でも、それが不合理であれば改めることを厭わない。だから動きにくい着物は着なくなった一方で伝統的な和食は大事にする。但し、海外の食事もどんどん取り入れる。

このような変幻自在の対応をする国柄だから、日本は世界で最も多様な食文化を持つ国になった。しかも、料理もただ取り入れるのではなく改良を加えて時に本場物を超える美味しさに到達している。このことは素直にすごいと思う。

ラーメンもカレーも元は外来の料理であったことはご存知の通り。しかし今では中国人がわざわざ日本のラーメンを食べに来日してくる。また、インドに出店した日本のカレーチェーン店も盛況だという。そういう国が他にあるだろうか?

強いて言えばベトナムは地理的に中国の影響を強く受けてきたことに加え、フランスの植民地であったことから中華料理もフランス料理も美味しい国である。それでも、日本ほどの多様性はない。その点で日本が一歩リードしている。

ただ、この常に改良する姿勢に対し海外の人は評価一辺倒ではない。「オリジナルを大事にしていない」「換骨奪胎」、もっとキツめだと「根本を腐らせるのが日本の癖だ」という表現で批判されているのを読んだことがある。

私は日本人なので、味がイマイチのオリジナルよりも味が良い改良版の方を好むけれど、これはポリシーも絡む問題。簡単には評価できない。後は、多くの人々の感性によって決まっていくものだろう。

とはいえ、クリスマスイブ(イスラエル的にはクリスマスを迎えた夕方以降の1日)を恋人と過ごす日とするのは、宗教的には完全に逸脱している。もし真顔で抗議されたら、それは素直に謝るべきところではなかろうか。

クリスマスの根本は救世主の生誕を祝う敬虔な日である。それを全く意識しない日本の緩さを許せない人達がいて、その峻厳さがガザの悲劇の遠因にもなっていることは、今起こっていることに対する理解のためにも忘れてはならないだろう。

お読み頂き、ありがとうございました。

読んで頂いただけでも十分嬉しいです。サポートまで頂けたなら、それを資料入手等に充て、更に精進致します。今後ともよろしくお願い申し上げます。