夫婦関係で忘れがちなこと
日に日に寒さが厳しくなってきますね。雪が降る地域も増える一方です。冬は冬らしく、でも大雪の害はできるだけ少なく、人間の欲と言われたらそれまでですが、心の底からそう思います。
さて、……。
昨日、以下の記事を書いた。
X(旧twitter)を眺めていると、残念ながら夫への不満や怨嗟の声が結構視界に入る。中には「離婚に向けて動き出す宣言」をする人までいる。それに対して結構な数の応援コメントが付くことが多く、この手の話には強い共感性があることを改めて知った。
一方で、御夫君側でこの手のポストをしている人は少ない。但し、ポスト数が少ない=実数が少ないではないだろう。男には沽券というものがあって、自分が選んだ妻に対して批判を言いにくいだけだと思っている。
沽券というと難しく聞こえるが、要は面目である。夫婦対等とは言いながら、住民票で世帯主を書く場合、大多数は夫となる。世帯主として世帯内をまとめられないとなると、統治能力を疑われる。結果として、面目を失うこととなる。
でも、本来「夫婦は、結婚した時点においてはほぼ同レベルであったはず」というのが私の持論である。従って、夫婦関係がこじれた場合には、当然双方に責任があると考える。
結婚当初は夫婦だけでの身軽なひと時を過ごす。ここでもう壊れてしまう関係ならば、間違いなく双方に責任がある。やがて子どもが生まれると、次のフェーズに移らねばならない。いつまでも蜜月ではいられない。
夫は会社の中で昇進し、妻も職場復帰或いは地域社会で地盤を築いてゆく。そういう中で、夫婦は新たな関係性を築かねばならない。一方で、夫婦の成長に差が出てくる場合も多い。その結果として、夫婦間にきしみが生じてしまう。
ある意味では当たり前のこととも言える。夫婦といえども個性を持った個人同士が縁あって一緒になったという本質を理解しているならば、ここまでは想定の範囲であるべき。
そして、そういうものだと理解していたならば、相手がちょっと変わったなと思えばアプローチの仕方を柔軟に変える必要がある。極めて単純な理屈である。
しかしながら、こうなっても意外に「今更言わなくても察してくれるだろう」と雑な対応をしたり「今まで通りで良いだろう。面倒だし」と流してしまったりしがちである。そうなると関係は間違いなく悪化する。
二人の成長がずっと同じペースで、かつ同方向に進んでいけたのであれば幸せなこと。でもそうでないならば、子育てで赤ちゃんに接する際に自ら話しかけるレベルを下げたように、より伝わりやすいように話すことが大切だと思う。
これ、今後起こり得る伴侶の認知症の場合にも役立つ考え方だと思っている。そういうケースも想定し、日頃から接し方を工夫するクセをつけることが大事ではなかろうか。
お読み頂き、ありがとうございました。
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