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夫婦の最後の共同作業

今週の業務終了!
全身を歓喜が貫いています(寒気も)。

さて、……

結婚式のメインイベントの一つであるウエディングケーキ入刀。これについて司会者が「ご列席の皆様、ご注目下さい。夫婦最初の共同作業、ウエディングケーキの入刀です!」と言って披露宴最初の見せ場として紹介し座を盛り上げるのは、鉄板となっている。

だけど、恐らく夫婦最初の共同作業は披露宴よりも前の挙式そのものではないか? もっと言えば、結婚の合意を固め、結婚式を開こうと思ったことではないか? と突っ込んでみたりする。

これを共同でやらなかった夫婦はまずいないのだから。

もっとも、夫婦の共同作業というのはその後も続いていく。子作りというのはあまりにも直截的だけど、それ以外にも
・夫が高いところの木の枝を切り、妻がそれを熊手でかき集める。
・スーパーで妻が支払いをする間に、夫が買った物のパッキングを始める。
・ソファの足を夫が持ち上げている間に、妻がフェルトを貼る。
等のことは日常的にあるし、それをいちいち意識したりもしない。

そもそも、一人で何でもできるなら、つれ合いは無理には要らないことになる。しかし、実際は一人で何でもできるわけではないし、一人で何かをするよりも誰か一緒にいた方が張り合いが出るのも事実。

よく言われることとして「夫婦で暮らしていると、喜びは倍になり、悲しみは半分になる」がある。これは、何となく分かる。

喜びは二人で共有しても全く減らない。しかし悲しみは同じ気持ちであると分かれば、何となく分かち合える気がする分気持ちが楽になるからだ。

日々の生活において、お互いの足りないところを補い合い、喜びも悲しみも共有できる関係を築いてそれを維持することができたならば、その人生はかなり充実していると言える。それは貧富を超えた価値があると私は思う。

ただ、残念ながら日本の夫婦の3組に1組は離婚している。そのことを知ると、取り敢えず20年近く妻と波風立たずに過ごすことができたのは、とてもありがたいことだと思っている。

今住んでいる家にいつまで住めるか、その後はどうするかを話し合うこともある。こういう話し合いを経て更に時が過ぎ、最後に手を握って相手を看取るor手を握られて相手に感謝と別れを告げる。これが夫婦最後の共同作業になるのだろう。

お読み頂き、ありがとうございました。

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