ミニマリストに他者依存がないか、気になる
今日は温かかったですね。自転車に乗るのにも、手袋なしで大丈夫でした。でも、明日は寒くなるらしいです。ご自愛ください。
さて、……
生活スタイルも多様化する中で、自らをミニマリストだと公言する人も少なくない。ミニマリストについて厳密な定義はないようだけど、コトバンクには以下のように書かれている。
大量生産・大量消費の時代を経た私たちは、多くのものを所有し消費する生活が心の隙間を埋めきれないことを知った。それに加えて地球温暖化問題がクローズアップされ、CO2の排出削減と環境負荷低減を目指すのは「クール」な生き方だと認識されるようになった。
こういった経緯を経て、「少ない物で豊かに暮らす」「自分にとって本当に大事な物を見極めて必要な物だけを持つ」というミニマリストの考え方も、生き方の一つとして受け入れられてきた。
このこと自体に異を唱えるつもりはない。でも、たまに「自ら手元に所有しなくても、近所に深夜営業しているコンビニや飲食店があるのだから、それでまかなえば良い」というような意見を開陳する方が出てくる。
例えば「自分が冷蔵庫を持たなくても、近所のコンビニで冷えた飲み物が売られているから大丈夫」というご意見。これは率直に、本質からズレている。本来自分が負うべき役割を他者に投げているだけだからだ。
他者に頼るなとは言わないけれど、「排出源としての自分」という視点で自分の生活のあり方を根本から見直し、環境負荷を下げる方向で行動様式を変えるのが本筋だろう。
冷えた飲み物がなくても構わないという考えに至らないなら、環境負荷はそれほど下がらない。多少でも下がるならよいという考えもあるのだけど、それはやっぱり違う気がする。
それなら素直にミニマリストごっこはやめた方が良いのでは、と言いたくなってしまう。
なお、この他者に投げる考え方にはもう一つ欠点がある。それは「大多数の人がミニマリストを志向しない」ことを前提に成り立っているという点。
もし、みんながミニマリストを志向して、コンビニの冷蔵庫を当てにするようになったらどうなるかを考えれば分かる。冷蔵庫の容量がとても足りず、皆が不満を感じるようになるのは必至だろう。
やはり、必要最小限を追求し環境負荷を下げる生き方に切り替えない限り、この考え方を周囲に広げることはできない。本質からズレていると、このような自己矛盾を生じてしまう。
ものを持たない生き方でストレスを感じるようであれば本末転倒であり、この点について自分が本当にクリアできるかを見極めないと結局息切れしてしまうことに留意が必要だと思っている。
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