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車椅子の人の電車への乗り込みについて思うこと

今日は暑い一日でした。文句なしにジャケットなしで出社、但し駅まで全力で「歩いた」ので、到着時には汗ばんでしまいました。

さて、……。

今はバリアフリーも進み、多くの車両にバリアフリースペースが設置されている。そこには椅子がないので、立っている人がそこに入り込むことになる。

しかし途中駅で車椅子の人が乗ってくると、そのスペースを空けなければならない。大抵の人間はそれをやむを得ないことだと理解して移動する。

実際に私は以下に書くような人を見たことがないのだけど、twitter等で投稿している人もいるため、本当にいると仮定して論を進めることにする。

それは「何で混んでいるのに電車に乗ってくるのか?」「迷惑だろう!」と言う人がいるらしいのだ。正直これらの発言は、あまりに思考が偏っておりかつ視野が狭いと思う。

まず、思考の偏りについて。

電車は公共交通機関である。この前提を踏まえれば、誰もが自由に利用して良いはず。だから、健常者も車椅子の人も等しく利用できなければおかしい。混んでいてもそれは同様である。

確かに健常者よりもスペースを取ることは否定しない。しかし、だからといって車椅子の方が申し訳ないと感じる必要はさらさらないのである。

スペースを取るという点においては、国立・私立の小学校に通う子どもも結構なものである。彼らはランドセルを背負いかつ足元に下ろさないので、スペースは大人よりも多く取る。それでいて負担している定期代は小児料金がベース。

車椅子の人に不満を述べる人は、これらの小学生にも文句を言うのだろうか?

次に、視野の狭さについて。

これらの意見を述べる人は、自分たちが割を食っているという強烈な被害者意識に陥っている。でも、本来乗客に十分なスペースを提供できるのは鉄道会社である。だから、文句を言う対象も車椅子の人ではなく鉄道会社であるべき。

与えられた条件を所与のものとして当然視してしまうと、狭い世界での奪い合いになる。でも、本来はもっと良い条件を求めるべきはず。それに思い至らないのは、残念ながら視野が狭いと思う。

江戸時代の「上見て暮らすな下見て暮らせ」が令和の現代にも残っているようで鬱になる。こういうところから変えていかねばならないと思っている。

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