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祈る前に、人としてできることを全てやったとの確信が大切

今日は会社の執務室がうっすら寒くて往生しました。冬になりましたね。

さて、……

多くのにわかサッカーファンを敵に回すかも知れないけれど、ワールドカップで日本を応援する方の中に「心を1つにして応援すれば、日本は勝つと信じています」と真顔で言う人が少なくないことに違和感を感じている。

そうあって欲しいという願望を持つことは否定しない。でも、正直なところそれとこれとは別だろうという気持ちになってしまう。論理の必然性が全くないからだ。

この点、太平洋戦争で痛いほど分かったはずなのに、このメンタリティーは今も変わっていないことに驚く。「日本は神国。だから絶対に負けない」というのと基本的な差異はないと思っている。

かつて戦争中も、千人針、千羽鶴、御守り等々、さまざまな武運長久グッズがあった。そして、多くの人が日本の勝利を信じて神社参拝を行った。その結果はどうだっただろうか。

こんなことを言う私は、ものすごくシニカルな人間だと思われているかも知れない。でも、それは断じて違う。自分にとって都合の良い結果を安易に持ち出し信じ込もうという姿勢が良くないと申し上げているに過ぎない。

そもそも、まずは人間ができることを全てやることが大事だろう。
日々の練習はもちろんのこと、ケガを防ぐ準備体操やストレッチの他、食事も栄養バランスに気を遣い、適宜休養を取る等のスケジュール管理をキチンと行う。

それらに加えて、対戦相手チームの研究も必要。選手の得意不得意、クセ、チームのこれまでの戦い方についても過去実績をキチンと把握する。そしてそれに対応するチーム全体の作戦を立案する。

更に、試合の行われるスタジアムの風向や気温等も把握し、当日の体調管理に必要な事項やグッズ等をまとめて用意しておく。

そして、試合当日に向けチーム全体で戦意高揚を行っていく。

これらの人間ができることをすべてやった後に、初めて祈るという行為が出てくるべきだと私は思っている。ここで祈るべきは、勝利ではない。選手が力を出し切ることを祈るべきであろう。

いわゆる「人事を尽くして天命を待つ」である。

人としてできることを全てやったという達成感があれば、後はもう天にお任せするという気持ちになるはず。この域に達すれば悩みも迷いも湧いては来ない。

ちなみに、高校の先輩が東大理Ⅲを受験し見事合格したのだけど、その人は最初ガセの「不合格だったらしい」という噂を耳にした際にこう言ったと聞く。「俺、後は何を勉強したら良いの?」

これくらい「できることを全てやった」と言い切れる人だからこそ合格したのだろうと思う。これと比較すれば、「心を1つにして応援すれば、日本は勝つと信じています」という言葉の空疎さは自明ではなかろうか。

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