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満開の桜の花に考えること
今日も忙しい一日でした。資料の作成をしていて結構気が乗っている時に電話ってやめてほしいですね。気が削がれると再度持ち上げるのに時間がかかりますし。
さて、……
東京は今が桜の盛りである。公園にレジャーシートを敷いて花見をしている人も多い。
今一般に植えられている桜の多くはソメイヨシノである。一説には8割がソメイヨシノだという。この品種はエドヒガンザクラとオオシマザクラの交雑種であり、生まれたのは江戸地代末期のこと。
ということは、
「ひさかたのひかりのどけき春の日に しづ心なく花の散るらむ」と詠んだ紀友則も、
「願わくは花の下にて春死なん その如月の望月の頃」と詠んだ西行法師も、
「風誘う 花よりもなお 我はまた 春の名残を いかにとやせん」と詠んだ浅野内匠頭も、
見ていた桜はソメイヨシノではないことが分かる。
逆に言えば、我々が周囲で咲いている桜を見てこれらのような歌を詠んだ人の思いを推し量るというのは、ちょっと無理があることになる。そもそも見ているものが違うのだから。
ぱっと咲いてぱっと散るという桜の特性は基本的に同じなのかも知れない。でも、枝振りや樹高は明らかに異なる。そういう花以外の雰囲気のようなものって、見る者の受ける印象に意外と大きな影響を与えると思っている。
もし古人たちが見たのと同じものをどうしても見たいならば、地方の古い桜を訪ねた方が良いだろう。吉野山の桜は有名だけど、これはシロヤマザクラという品種。西行法師もこの桜を愛でて庵を結んだと聞く。
昔、自分が九州に赴任していた時に見に行った熊本県南阿蘇村の「一心行の大桜」は、大きさといい古木らしい風格といい一見の価値があった。この品種はやはりヤマザクラで、樹齢は約400年とのこと。
今年の大河ドラマの主人公である徳川家康が死んだ直後から植わっているということになる。そういう木にはやはり積年の風雨に耐えた風格が備わり、だからこそ崇敬されて大事にされることになるのだと得心する。
そうは言っても、そうおいそれと地方に出かけて桜を見ることはできない。古人の思いはさて置いて、手近な公園で咲く桜の花を眺めて楽しむ。それだけでも十分であろう。
花曇りの日が多く気温もそれほど高くならないのだけど、肌寒さをモノともせず満開の桜の花には多くの人が集まる。こんなに人がいたのかと驚くほどである。
世の中がどのように変わろうとも季節が巡ってくれば必ず花を咲かせ、一瞬の美をこの世に現出する桜は、ただただ貴いと思う。
自転車を漕ぎながら桜を見て、そんなことを考えていたものだから、危なくフェンスにぶつかりそうになった。自転車といえど運転する時にはキチンと前を見なければと自戒した。
お読み頂き、ありがとうございました。
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