イジメを防ぐには自殺を思いとどまった人の経験から学ぶ必要があると思う

沖縄の方で台風が発生しそうだとのこと。今年は発生ペースが遅いように感じます。でも、災害の発生を望んでいるわけではありませんので念のため申し添えます。

さて、……

すごく言いにくいことではあるのだけど、「イジメを苦に自殺」という表現は正確性に欠ける。

自殺は、自分の命を殺めるということ。もちろんイジメはその動機にはなり得るのだけど、イジメた人間が直接手を下したのとは異なる。もしそうなら、それは殺人である。

イジメを受けた人間の苦しみは、当然ある。私自身も受けた経験があるし、それを苦にすることがあり得ることも理解できる。ただ、イジメられた人間が自分の命を殺める決心をしたのは確かであるものの「苦がある⇒だから死を選ぶ」は短絡的過ぎないかと思う。

実際は、死を思う一方で生きたいという気持ちもあったはず。その生きたいという気持ちを振り捨ててもよいと思えるほどに苦が大きかった、或いは逆に生きたいと思える喜びや楽しみが見つからなかったということではないか。

言うまでもなくイジメは悪いこと。しかし、その気持ちを上回る何らかの喜びや楽しみ等前向きな気持ち。それがなかったことについても考える必要があると思う。

イジメられた人の心の中にはこの相克があること、もっと言えばイジメだけがその要因ではないことについて更に深掘りしないと、イジメの闇の深さが浮き彫りにならないと考えている。

イジメについて思い悩み、意を決して相談した担任の先生が親身になってくれなかったとか、親が重大なことだと受け止めてはくれなかったということもあるだろう。誰も味方になってくれなかったとの絶望に心がくじけたこともあるだろう。

そして、目の前の苦しみに対して、離れる・逃げるといった対処も許されると教えてくれる人がいなかったこともある。これらのさまざまな吐き出し口、迂回路のすべてが不幸にも開かなかったこと。これが自殺のストッパーが機能せず、不幸な結果を招く要因になったことを考えねばならない。

実は、イジメは人間の自尊感情・社会性のいびつな出方であるという見方ができると私は思っていて、そういう人間の生き物としてのバグを前提にした社会で生きていることを、もっと意識すべきだと考える。

イジメで自殺を考えたけど、実際には思いとどまったという例の方が多いはずだと思うのだけど、そういう例が積み上がってはいない。本来は、こういう例からストッパーとなった要因を集めて対策とする、というやり方があるのではなかろうか。

イジメ自殺後に第三者委員会を開いても、ダメだった要因しか見つからない。そうであれば、この逆パターンの生きる決意をした人達の声をもっと集めるようにした方が良いのではないか。

私はそう考えている。

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