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生きてる限りモトはとれている

生きていれば、それだけでいろいろ面倒なことが起こってきます。でも、それらをまともに受け止めるとキツイですよね。うまく流す方法も身につけていきたいものです。

さて、……

今でも街を歩いていると、アナと雪の女王の歌が流れてくる。でもそれを聞くと、つい

♪ありのぉママは、女王アリしかないのよぉ

という下らないことが脳裏に浮かび上がってしまう。

それにしても、この曲を聴くと映画『アナと雪の女王』で王女・アナ役の日本語吹替えを担当し、昨年12月に亡くなった神田沙也加さんのことを思い出す。

亡くなられたことについて、改めて哀悼の意を表すると共に、深くお悔やみ申し上げる。

自分よりも20年近く年若い女性の胸中を慮ることは、私にはできない。しかも、親が日本国内で知らない者はいない有名スターである立場に至っては、想像を絶してしまう。

ただ、その周りの一般大衆の立場としての心理なら多少は分かる。何とか仲良くなってお友達になりたいか、住む世界が最初から違うと思って距離を取ろうとするか、恐らくその2択になりがちだったのではなかろうか?

やんごとなきお子様の周囲でも、似たようなことが起こっていると聞いたことがある。一般大衆の対応は、極端なのである。

自然に、そして普通に接することは、かなり難しいこととなる。どうしても、相手の社会的な立場を考えてしまうからだ。まさに人間は、社会的な動物であることを再認識させられる。

親が有名人であると、つい「親の七光り」で何でも意のままになるのではないかと色眼鏡で見られたりもするだろうし、そのおこぼれに与ろうとする人も出てくる。

そういう環境に自分がいたら、心が安まらないだろうことは想像に難くない。正直なところ、修羅の世界にいるのと大差がないからだ。

憶測になるけど、心を許せる人間関係の構築は難しかっただろうとは思う。利害が常につきまとう人間関係ばかりではなかったと思いたいが、私達よりははるかにその率は高かったことと推測する。

ただ、何があっても自ら死を選ぶことだけは、肯定できない。その時が取んない辛くても、その先は大抵当初の想定よりははるかにマシになることが多いのだから。

昔読んだ河野守宏さんの本にあった「目の玉が黒いうちは生きている」「生きてる限りモトはとれている」。そう信じて生きていくことは、辛いときにきっと役に立つと考える。

お読み頂き、ありがとうございました。

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