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「田舎者」という表現に含まれる見下し感は、今の時代にはもう合わない

日々寒さが身にしみてきます。
温かくして過ごしたいものですね。

さて、……

あなたは「田舎者」という表現を聞いて、どのような印象を持つだろうか?本来は、単に田舎に住んでいる人という意味のはず。例えば「日本人」と言われても、特に気にはならないのと同様の意味付けである。

しかしながら、実際はそうではない。田舎者という言葉には、田舎に住んでいる人との意味だけではなく、高確率で見下した意味も込められている。なぜそうなるのだろう?

田舎は穏やかで時の流れがゆったりとしている。その分変化に乏しい。また、店も娯楽も少ない。従って、刻々と変化する都会の流行や最新のファッション、流行りの遊び等へのアクセスがどうしても遅れがちとなる。

また、当然のことながら都会とは生活習慣が異なる。都会では当たり前の振る舞いには疎くなる。

これらの部分に焦点を当てて、都会の人が「自分たちは当然知っていることを、田舎の者は知らない」と上から目線で田舎者を評価するようになったことが原因だろうと、私は理解している。

今は流石に使わない「都人」という表現には、優れている・文化や教養を身につけている憧れられるべき人という意味も込められているように感じる。でも、本当にそうなのだろうか?

私の勤務先は地方に工場があり、そこで生産現場の何たるかを学ぶのがまさに「新入りの務め」であった。私もそのキャリアパスに従って田舎で勤務したことがあるのだけど、私の受け止めはかなり異なるものだった。

ちょっと歩けば商店も途切れるような街だけど、そこで暮らす人たちは大きな家に住み、通勤地獄もなく、夕方には帰宅して家族と過ごす時間を大切にしていた。収入が多くなくても、十分に豊かだと感じたのである。

これは、私がファッションや文化には無頓着な人間であることも大きな一因であることは理解している。でも、当時ですら私は、この生活の方が人間らしい、豊かさとはこういうことではないのか? と感じたのだ。

まして、今のインターネットで欲しい情報のかなりのものに触れることができる、ネット通販で翌日にはリアルな商品も手に入る状況において、なお都会に優位性があるのか? については更に疑問が深まっている。

少なくとも、田舎暮らしを経験することなくたまたま自分が生まれたのが都会であるという一点で田舎の人を見下すのは、多様性が叫ばれる時代においてストレートに恥ずかしい行為である、とは申し上げたい。

お読みいただき、ありがとうございました。

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