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およそネット情報全てにかかっているバイアスにご留意

今日は朝からテレビ会議が連続してワヤでした。接続では全く悩まなくなっていて、習うより慣れろを実感しています。

さて、……

自分にも関係することなので言いにくいのだけど、ネットの情報には(私の書いている記事も含めて)バイアスが掛かっている。

それは、書き手に発信する力があるということ。発信できる人が発信しているということに留意が必要なのである。

「当たり前じゃん!」と言われるかも知れないけれど、これを裏返すと発信できない人は発信していないということでもある。その数を比べてみれば分かると思うけれど、発信できていない人の方が大多数だろう。

つまり、どんなに立派な主張であっても、それは少数派の人間から発せられたものでしかない。もちろん、それに対して「いいね!」がつくこともあるけれど、それでも日本の人口から考えたら圧倒的に少ない数である。

要は、少数派が徒党を組んでネット上で「いきっている」だけという可能性があり、私はそのことには留意が必要だと考えている。この点、大抵の選挙結果がネット上の声の大きさとはかけ離れていることからもお分かりだと思う。

ここで、発信できていない人達にも理由はあると思っている。文章も画才もないからという能力の問題もあるし、時間的余裕の問題もある。でも今はやろうと思えばスマホ1つでできる時代であることを考えると、意欲の問題が一番大きいのではなかろうか。

やらない自由というのはもちろんある。それを無理強いしてはならない。でも、その結果としてネットにあふれる記事には、大多数の「モノ言わぬ人」の意見は反映されない事態が起こる。

でも、そういう彼らも、もちろん個人としての意思は当然持っている。この世に人として存在して、それなりの生活をしている。だから、世の中に全く影響力がないという認識は間違いである。

サイレントマジョリティという言葉があるが、それが表に出てきていないだけ。耳を澄ませても聞こえてこないけれど、ネット上で注目される極論気味の主張よりも大きな無言の存在。

世に発信している人は、こういう存在に対してもう少し謙虚であるべきではないかと思っている。

強いて言えば、世の中の現象を捉えて、それを分析して全体の傾向を世に伝える記事があり、その中にモノ言わぬ個人の思いも含まれてはいる。これが、ハッキリとは言えないが極論の言い過ぎ部分を中和して薄めてくれている気がする。

もし、彼らが発言に向けて動き出すようなことがあれば、本当に世の中が大きく変わる可能性があるのだが。

お読み頂き、ありがとうございました。

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