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かかとのひび割れ要因に加齢もあることを知り、数え年と正月の関係を考えてみた

今日、東京は晴天に恵まれました。雲一つない……とまでは言わないものの、視界のほとんどに雲がなく、日も差して冬の割には温かめの一日でした。

さて、……

実は年末からちょっと変だと感じていたのだけど、年が明けて2日の朝に決定的なことが起こった。かかとがひび割れたのである。

「オジさん、正月早々何を言っているの?」と思われたかも知れない。でも、実際かかとに線が入って割れ、血がにじんでしまっていたのである。

「これはエライこっちゃ」と思ってネットで検索すると、それなりにヒットする。これもまあまあ世にある症状だと分かってホッとした。

但し、原因を見るとちょっと心がザワつく。「乾燥」はまあ季節的にしゃあないだろう。「水虫」はまずない。コロナ禍で温泉場等にも久しく行っておらず、そもそも感染する機会がなかったはず。しかし「加齢」とは……。

現象的には、かかとの古い角質層が蓄積されて硬くなる状態がまずあって、そこに力が加わることでひび割れが発生する。本来、皮膚は入れ替わっていくべきなのだけど、加齢によりうまくいかなくなることがあるらしい。

総合的な自己分析としては、乾燥している空間で年末に立ってやる作業時間が増えてかかとに力が掛かる機会も増えた、そしてそこに認めたくはないものの加齢も要因として加わった。この二つの相互作用が原因だろうと思われる。

無念ではあるが、そして甚だ遺憾なことではあるが、やはり年は取っていることを認めざるを得ない。

昔は満年齢ではなく数え年が当たり前であった。それは字が読めない人が多数いた中で暦を手元に持っていた人がほとんどいなかった。ゆえに、正確な誕生日を知っている人も少なかったという事情が大きいと思う。

だから、誰もが分かる新年で年を取ることにするのは極めて合理的だったのだろう。そして、昔からお盆と正月はお休みするものとされていて、この期間だけはゆっくりすることも咎められなかった。

そういう機会に、普段の忙しさから敢えて見ないようにしていた体の不具合箇所に改めて気付くこともあっただろう。それが一つ年を取ったことと合わさって「ああ、私も年だな~」という感慨を抱いた人も多かったに違いない。

そんなことを考えて思い浮かぶのは「門松は 冥土の旅の 一里塚 めでたくもあり めでたくもなし」という歌である。子どもの頃は「なぜ門松なのだろう」と疑問に思っていたが、昔は数え年だったと知って合点がいった。

こういう事実を知らないと、受け取る側も意図をハズしてしまう。門松がまさに年を取る象徴でもあることを知って、初めてこの歌の意味をより深く理解できるのではなかろうか。

たかがかかとのひび割れから話が広がってしまった感がある。取り敢えず今日までは昔使っていた角化症治療剤の残りを使用して様子を見ることとし、それでダメなら皮膚科に行こうと思っている。

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