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学生時代に環境の価値と影響が分からなかったのは、世間知らずだったと思うこと

明日から雪の予報が出ています。今まで何回かスルーできたのですが、今回はどうでしょうか。

さて、……

時節柄受験もクライマックスに向かいつつある。それに伴い、ネットニュースでも受験や学校の評価に関わるものが多くなっている。

子を持つ立場になって、初めて自分が世間知らずだったなあと思うことがある。それは「首都圏の人たちが子どもの教育に莫大な費用を投じてきている」ということ。

私も中学校まで塾には通った。だから「子どもの教育費にお金がかかる」という言葉については「まあ確かに」という程度の認識であった。しかし首都圏の人たちは私の認識を遙かに超えた額を子どものために使っていることを知って本当に驚いている。

私が公立王国の地方出身だったこともあって、周囲に中学受験をする人はほとんどいなかった。中受をするのはエエとこのボンか医者の子弟くらいのもの。でも、首都圏では3割以上が中受をし、それに結構なお金をかけている。

中学受験が終わっても、お金はかかり続ける。私立中高一貫校に通っても更に塾に通う、通信教育を受ける等は当たり前。それらの費用に親は悲鳴をあげながらもなんとかそれを工面し、子どもが良い大学に入るのを期して自分を納得させている。

自分の場合、基本は学校の勉強だけであった。高校も特に大学入試対策の補講をしたり、受験向けのカリキュラムを組んだりすることはなかった。予備校の夏期講習、更に浪人して予備校には通ったけれど、それで何とかそこそこの大学に合格することができた。

ただ入学後に、何となく私立高校出身者と文化が違うなあとは思っていたが、具体的に何がどう違うのかが分かっていなかった。

子を持ちその子がそこそこの学齢に達したことで、初めて見えてきたもの。それは、同様の背景を持つ者同士で中学以降を過ごしてきた濃密な「クラス文化」だと思う。

ここでいうクラスは、学校の組のことではない。欧州の貴族階級に見られる上流社会の立ち居振る舞いと言えば伝わるだろうか。

同種同等の高い生活環境に過ごす者が、受験という一定のフィルターを通すことで学力も揃い、似たような人間同士が集まって過ごす。これによって育まれる文化は、成長期の人格形成に大きな影響を与えるものと思う。

これに対して地方公立校は、基本旧制中学の流れを汲む戦前からの名門校を中心に成績上位者は集まるものの、生活レベルはまちまち。また、入試で内申点の比重が大きいと地域差の影響もあって、高校で学力差が鮮明になっていくということもある。

また、更に田舎の高校では、そもそも受験のフィルターも目が粗くなるため、当然のように学力差が出る。そういう中で、クラスメイトに自分の意見を理解してもらうためには、わかりやすく話すというスキルが自然と身につくことになる。

首都圏の中高一貫校では、学力差は地方公立校よりも少ないと思われ、それだけ話す際に学力差を意識せずに済んでしまう。

当時感じていた違和感を今首都圏で子育てしてやっと理解できたというのも何だかなあと思うけど仕方がない。ただ環境の違いによる人格形成は、今後もついて回ることに留意が必要だと考える。

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