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選択の誤りも人生につきものだと割り切る

日々いろいろなことが起こります。まともに受け取るとシンドイ、でも流してばかりもいられない。その中で落とし所を探る日々です。

さて、……

実は、自分の人生で選択を誤ったと思うポイントがいくつかある。この思い、恐らくあなたも皆無ではないと思う。

まず、不可抗力ではあったものの、自分の父親の転勤がもっと緩やかであったなら、という思いがある。この点は選択できなかったものではあるが、そうだったらきっと自分の人生は変わっていたという確信がある。

次に、学生時代にもっと人と関わるアルバイトをやっておけば良かったという思いがある。自分のやったアルバイトは、個人塾の講師、第三種郵便局員等、多くの人と関わらないものばかりだった。

これらは決して恥ずかしい仕事ではないにせよ、社会を見るという観点から考えるとイマイチであった。もっと謙虚に社会を学ぼうとすべきだったのではないか、との思いを抱いている。

そして、自分の能力をもっと突き詰めて考えるべきであったとの思いがある。ぶっちゃけ、noteが600日くらい連続して書けている実態から考えても、私はモノを書くことが苦手ではなく、むしろ好きな方である。

そうであれば、それは適性があるということであり、その方面での就職を考えれば良かったのではないかと思う。今の勤務先ももちろん文章能力は問われるのだけど、それがコアコンピタンスにはなっていない。

就活時、それなりの地位の方がわざわざ私の実家を訪れてきてくれた企業があった。正直なところ自分が考えていた業態ではなかったので受けなかったのだけど、今も地元の優良企業として成長している。もしそちらに入社していたら、どうだったのだろうかと隣の芝生が青く見えることがある。

就職してからであるが、社内で自分のしたいことをもっと積極的にアピールすべきだったとも思っている。自分の特性上どんな仕事にも面白さを感じられるのだけど、その分したい仕事へのアピールが弱化したことは認めねばならない。

やはり、やりたい仕事は譲ってはならない一線があると強く思う。そのことを上司や人事に訴えるべきだったと思う。

実は、昨年度までで早期退職者への割増し退職金制度が廃止された。これを行使すべきだったのか、今でも解がない。

このように人生には多くの選択肢と選択した後の人生がある。すべてが思い通りだった人にはお祝いを申し上げるが、「こんなもの」だった方もおられるだろう。少なくとも私はそうだったし、それを受容して楽しんでいる。

お読み頂き、ありがとうございました。

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