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第七波の高さ、それでも通勤電車に乗る理由を考える

今日は昨日とは打って変わって良い天気でした。暑い1日となりましたね。

さて、……

第七波でも電車は混んでいる

コロナ禍は第七波と呼ばれる状況になった。しかし、通勤電車はコロナ前のブタ混み状態と比較して、私的感覚では9割近くの混み具合である。

テレワーク、在宅勤務といったキーワードも一時ほど見かけなくなった。何だかんだと言いながら、元通りの生活様式に戻りつつある。

なぜこうなってしまうのだろう。単純に疑問に感じたので、要因を考えてみた。

テレワークの弱点

その疑問を突き詰めると、テレワークの弱点とは何かということになる。それは日本の仕事のやり方に起因するものがあることに気付いた。

日本では、厳密な担当割で仕事をするケースは少ない。一人が全責任を負う形での業務遂行ではないから、どうしても周囲や上長とのちょっとした確認が必要になる。

これはテレワークだから省いてよいということにはならない。そうなると、いちいちTeamsで繋いだり、チャットを飛ばして確認しなければならない。この一手間は結構な負担になる。

目での会話を封じられた辛さ

しかも、チャットでは口調や声のトーンのような文字以外の部分での自分の気持ちを織り込んだ伝え方が難しい。

言葉にならないものを伝えることによる効用は結構あると思っている。それは私自身、リモート会議の司会を務めることが多いので、身に染みる。

リモート会議と言っても、傍から見ればパソコンに向かって1人でしゃべっているだけである。そして発言者以外はマイクを切っているので、微かな場の雰囲気を感じ取ることができない。参加者の表情で、説明のどの点に納得がいっていないのかが見えなくなってしまう。

加えて、会議の場では簡単にできた目での会話もできなくなっている。想定外の質問が出たときに、目で「困った」ニュアンスを伝えたり、どうしましょうと思案顔を向けたりができなくなった。それだけ、司会者の力量が問われることとなる。

これらを大したことないじゃないかと思える人はいい。しかし、そう思わない人はいるし、回数が積み重なるほどにストレスに感じる人も出てくる。

リアル資料確認の必要性

また、基本的な業務がフローで流れる人はあまり影響がないのだけど、長年の積み重ねを基にするような業務を担当している人は、昔の資料も参照しなければならない。これらが皆電子化されていない場合は、リアルで保存場所まで見に行かねばならない。

メンタル状況も会わないとわからない

厚生労働省も完全なテレワークには及び腰である。理由は簡単で、社員の健康状態の把握が難しくなるからだ。職場への安全配慮としてメンタルにも気を付けなければならないとなると、やはりリアルで状況を確認する必要がある。

新しい行動様式の不発

結局「出社した方が気が楽」「出社した方が作業効率が上がる」と思っている人の方が多いから、今の通勤電車の状況に戻ったと考えるのが妥当だろう。

なお、就職氷河期以降の採用減により社員数のバランスが崩れ、職場環境の守旧派の方が多くなっちゃったことも一因ではないか、というのは深読みし過ぎだろうか。

お読み頂き、ありがとうございました。

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