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「光る君へ(14)」の台詞で感じたこと

今日は昼過ぎまで春の嵐でした。雨風ともに強く、出社するのも一苦労。傘一本も一車両全体だと150本くらいにはなるので、それだけ電車が混むことにも繋がるし、乗り降りも少し緩慢になるのだからしょうがないですね。

さて、……。

毎週楽しみに大河ドラマ「光る君へ」を観ている。正直、こんなにハマるとは思っていなかった。

大河ドラマは武将ものの場合、最後は物理的な力、ハッキリ言えば武力で勝ち負けが明確につく。この点で分かりやすい。

もちろん、いきなり槍や刀を手に取って戦い始めるわけではない。事前の調略や罠を仕掛ける普請を怠らず、敵を追い込む段取りを組む。その結果が、最後の武力で結実する。

今作はいきなり準主役藤原道長の次兄・藤原道兼によって主人公・まひろの母が刺し殺され、また途中の回で道長やまひろと微妙な友人関係を保っていた直秀が(彼の仲間も含めて)殺される等のことはあったが、総じて表向きは平安な時代。

現在、ウクライナやガザの紛争はあるものの、そこから遠い日本では未だ平和。その点では平安時代の方が武力で決する鎌倉〜戦国時代よりも現代に近く、入り込みやすい。このことは以下の記事でも述べた。

平和な時の立身出世はひたすら勉学に励み、上位者や周囲に役立つように振る舞うことが肝要。これは一気に雌雄を決することが難しい。粘り強さと人心の機微を理解した継続的な行動の先に成功が手に入る。

ただ平安時代の場合、隔絶たる身分の差があった。そのため、これらの努力を以てしても効果に限度はあった。それでも、やらないことには始まらない。

また、女性は今の「女性活躍」が叫ばれる時代とは異なり、よき婿を得ることしか将来に希望を見出しにくかった。

だから「(14)星落ちてなお」の中で、ききょうが(後の清少納言)が「よりよき婿を取ることしか考えられず、志を持たず、己を磨かず、退屈な暮らしもそうと気づく力もないような姫たち」とさげすむようにまひろに伝えた言葉。これは当時の常識とは思いっきりかけ離れている。

今のような時代に生まれていれば、このような発想を持つことも容易だろう。でも、当時の社会に生きていて、このようなことを思いつけた彼女は正に革新者であると言える。時代背景も考えると、その言葉は重い。

ただ、ハッキリとは言っていないが「女性は皆宮中に出仕するなどして働くべきだ」という考えのようにも感じられる。そうであれば、少し偏狭ではなかろうか。専業主婦論争と同樣であり、生き方も多様であるべきだからだ。

例えば、親の残した金融資産の利子だけで生活できる人に「外で働け」というのに感じる違和感とでもいうべきか。

その点は少し割り引くとしても、彼女の言葉にはかなりのインパクトを感じた。これに匹敵するのは前回の「どうする家康」の最終回で茶々が「日の本か……つまらぬ国になるであろう。正々堂々と戦うこともせず万事長きものに巻かれ、人目ばかりを気にし、陰でのみねたみ、あざける。やさしくて卑屈な、かよわき者の国に」だろうか。

さりげなく現代を風刺する脚本家のお手並みに感服している。

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