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「めでたし、めでたし」は多分そうじゃないけれど、気にされない

日一日と太陽の高さが下がってきています。昼下がりになると陽光が窓から差し込んできて、冬の訪れを感じます。

さて、……

童話や昔話のエンディングには「その後結婚した2人は、いつまでも仲良く暮らしましたとさ、めでたし、めでたし」というフレーズがよく用いられていた。これについて、私は子供心ながらしっくりこないものを感じていた。

結婚した後の話がきれいに抜けているからだ。ワンフレーズでその後の人生をくくられているのは「いくら何でも」と思う。

自分も実際に結婚生活を送ってきたが、その後の展開で結婚したら全てがハッピーになったことなど、まずなかった。

もちろん、そもそもの童話や昔話のキモ部分の波瀾万丈の展開に比べれば、相対的に波風が立たず穏やかに過ごすことができた可能性は否定できない。しかし人間であれば、親も結婚した相手も、自分自身も老いる。

人間生きていれば、老いによってさまざまな不具合が生じてくる。でも物語の主人公には特権があって、老いず、結婚相手も老いずなのかも知れない。

現実には更に、病に掛かる、子どもが授からない、他に魅力的な異性が現れる、天変地異で不作、疫病が流行る、投資に失敗する、等で生活の不安定要素には事欠かないはずだが、「めでたし、めでたし」で流されている。

これでは、子どもでも違和感を感じるのは仕方がないことだと思う。

人は普通に生きていても、何らかのリスクを抱えているもの。それを教訓として話に織り込むのが本来の姿であろう。でも、その後の展開まで気にせずに流す姿勢に貫かれているのは、語る大人の事情によるものかも知れない。

やはり、子どもにお話を語る上ではメリハリを大胆につけた方がウケが良いし、話の長さも短めにしないと途中で飽きて最後まで聞いてもらえない。こうなると、一点突破で話をまとめるしかない。

このような先人からの知恵が受け継がれてまとまっていく内に、クライマックス後の展開は軽く流して「めでたし、めでたし」で終わるという形ができあがったのだと考える。

そうしたところで私のようなヒネた子どもは少なく、華麗にスルーでよいと判断された経験知の賜物なのだろう。

お読み頂き、ありがとうございました。

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