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朝ドラ「舞いあがれ」に決定的に欠けていたもの

今日の東京は基本的に曇天でやや肌寒い1日でした。大分疲れが取れましたが、もう一日休みたい気がします。

さて、……。

標題について結論から申し上げると、浪花節的な世界観が決定的に欠けていたと思っている。

即ち、市井に生きる人間が次々と義理と人情に絡んだ難問に見舞われる。どのように対応すべきかで悩み、それでも何とか前向きに事態の解決を目指して努力し、時に失敗しながらも少しずつ成長してゆく。

このような主人公の生き様を見て、観ている我々も時に泣き、時に一緒に笑う主人公の応援団と化していく。極めて日本的でウエットな世界であるが、やはり日本人はそういうのが好きなのである。

MVPの野球選手やノーベル賞受賞者の記者会見でも、日本人の記者は受賞した内容のすごさなどそっちのけで「ご家族とは話をしたか」「今の喜びを誰に伝えたいか」「恩師に言いたいことは何か」を質問する。

善し悪しで言うと両方あると思われるこの浪花節の世界であるが、今回の朝ドラで主人公と感情を共有し心から応援できたかを考えると、残念ながらそうはならなかった。

ネット上を見ると、人によっては前作の「ちむどんどん」よりも悪いという評価をしている方もいて、それはさすがにないだろうとは思いつつも、この浪花節の世界のなさについては、多くの人が指摘している。

結局、この主人公は自分の人生において何をしたかったのか? が見えない。航空学校を目指すところまでは良いのだけど、せっかくパイロットとしての就職先も内定していたのに、実家の町工場の経営が危なくなるとあっさり内定を蹴ってしまう。

以降は実家の町工場の業績を何とかするためにリストラにも手をつけ、営業に駆けずり回り、社業を回復させる。

ではそのまま会社に居続けるのかと思ったら、東大阪の町工場をつなぐ仕事をしたいと言い出してコンネクトという会社を設立。この会社の収益モデルが今一つ理解できないまま、今度は大学の先輩の空飛ぶ車開発にさらっと軸足を移す。

最後はこの空飛ぶ車のパイロットとして祖母の住む五島列島を飛ぶところで終了するのだけど、このように俯瞰してみて、あなたはヒロインに感情移入できただろうか。

しかもこれらの過程で、ヒロインは一部の例外を除いて甲の立場、強い側に立ち続ける。乙の立場になったのは、航空学校で指導・評価される時だけだったのではなかろうか。

今時、浪花節ははやらないと言われるが、日本人の琴線に触れるのは事実。ドラマとして観る時には、ヒロインの葛藤とその葛藤を乗り越える姿を期待している人が多いと認識している。

ほとんどが甲の立場であった今回のヒロインには特段の葛藤もなく、思いつきをそのまま実行し、頑張れば何とかなるという不思議な自信のみでなぜか課題が解決してしまう。

なお、最後に登場した空飛ぶ車であるが、「誰もが自由に空を飛べる」というコンセプトからはほど遠い。プロの操縦士が必要なものであるなら、明らかに設計にブレが生じている点は指摘しておく。要はヘリコプターをチャーターするのと何が違うの? である。

ばんばへの対応もひどい。大恩あるばんばが「五島に帰りたか」と言ってるのに6年間そのまま経過させてしまう。老人のストレスは認知症の元であり、ドラマではそうならなかったがリアルでこのような対応をすると発症するリスクが高い点を付記したい。

古いオジさんの価値観において、本作は残念ながら及第点をあげられない内容であったと言わざるを得ないものであった。

お読み頂き、ありがとうございました。

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