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春は出会いの季節「だった」

今日は帰ろうとしたら雨でした。弱り目に祟り目です😭

さて、……

卒業と共に地元を離れ、進学や就職で都会に出る。新型コロナウイルス感染症が流行する前は、それが普通に見られた光景だった。

しかし、コロナ禍も丸3年が経つと、かつての普通が普通ではなくなってしまっている。入学してもリモート授業ばかりという学校や、入社式もリモート、新入社員研修もリモートでという会社は、珍しくなくなった。

画面の向こうに新しい人たちが見えはするのだけど、これを新しい出会いと言ってよいのかが分からない。画面から伝わるものには限界がある。

自分の学生時代を思い出すと、下宿生同士でお互いの部屋を相互訪問したり、時に鍋パーティーをしたりする中で親しくなっていった。多分、今はそういうこともしにくくなっているのだろう。

地方から出てきてアパートを借りての生活は、お金がかかる。その収入を得るためのアルバイトがままならない。コロナ禍でアルバイトの求人元も減っているからだ。

一部対面授業を再開というのは、地方出身者にとっては諸刃の剣だと思う。全部リモートなら、実家に戻る選択もできるのだから。

会社においても、リモートのタイミングが合わず、数ヶ月リアルで会えていない人がいたりする。仕事のうちメインのものは在宅でもできたりする。しかし、雑事が意外とできない。

雑事はちょっとした会話で片付くものが多いのだけど、このちょっとした会話ができないので、チャットやメールをわざわざ送って対応せざるを得なくなってしまっている。

そのようなわけで、春は出会いの季節という言葉の後に「だった」を付けて過去形にしてしまうことになったのだけど、あなたの感覚は如何だろうか?

いつまでもこの状況のままではないだろうという期待はもちろんある。しかし、昨今の新型コロナウイルス感染者数の再拡大状況を見ると、淡い夢になりそうな気配が漂う。

もしかしたら、出会いはリモート画面を通じる方が当たり前になるのかも知れない。画面の枠で囲まれた世界の共有を出会いと表現するのが新しい日常での標準だとされるなら、かなり違和感を覚える。しかし、これもやむを得ないこと、是非もなしである。

お読み頂き、ありがとうございました。

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