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78回目の終戦記念日に考えたこと

今日は、明け方にかなりの雨が降りました。その後、私が目覚めて出社するまでは雨も落ちず、駅まで自転車で行くことができました。でも、その後会社の最寄り駅で雨に降られるという天候の変動に翻弄される出勤となりました。帰りは全く問題なく帰れてよかったです。

さて、……。

今日は78回目の終戦記念日である。1945年8月15日は、記念日ではないので除外されている。数え方が葬儀の年忌とは異なるようだ。

それはさておき、台風7号の通過が予想されていたため、今年は夏の甲子園も予め中止が決まっていた。正午の黙祷に合わせて主審が試合を中断させるタイミングに気を揉むシーンが毎年見られたが、今年はなかったのである。

私の父母はいずれも昭和ヒト桁生まれ。以前にも書いたが、父は高知県浦戸の予科練に行った。母も終戦時は高等女学校の生徒であり、いずれも戦争中の記憶をしっかり持っていた。


父は生前、予科練に行ったものの、土木作業ばかりさせられてロクな食べ物を与えられなかったことをよく口にしていた。母も、食べ物についてはかなり困窮した思い出を語っていた。食べ物の恨みは、やはりずっと残るものらしい。

しかし、父方も母方も空襲に遭わず、出征して戦死した者もいない。だから戦争に関わり死んだ者・負傷した者が一人もいないことになる。こういう例が、日本全体でどのくらいの割合になるのかはわからない。

ただ、満州にいた母方の伯母夫婦が引き揚げ船に乗って帰ってきた、伯母は女であることを隠すため丸坊主になっていた、という話は聞かされたことがある。それでも、何はともあれ無事に命は持って帰ることができた。

だから「身近な戦争体験を話せる人が減っている」との意見は正しいものの、その世代が皆戦争で悲惨な思いをしたかというと必ずしもそうではない。だから、期待するような悲しい話を皆が持ち合わせていないことは認識してほしいと思う。

むしろ、皆がステロタイプに思い込んでいる人の生き死にの現場もあった一方で、そういうことに縁がなかった生活空間もあった。それが戦争の真実だ、くらいの受け止めの方が客観的で正しいと思っている。

ただ、そのように相対化したところで誰も悲惨な目に遭わなかったことにはならない。一人でもそういう人がいたならば、その事実をきちんと受け止め、今後そういう人が出ないように、私たちは不断の努力をしなければならないのである。

今日はそういう誓いを新たにする日だと認識している。

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