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進む認知症④(人の例も聞いてみる)

母との面会を終えて帰宅。夕食後、母とのやり取りの顛末を妻に話した。すると妻は「あなたやお義姉さんって、周りに認知症の人っていなかったの?」と尋ねてきた。

そう言う妻の祖母も、生前に認知症を患っていたようだ。ふらっと家を出て帰って来ず、田舎の隣近所が総出で捜索したりすることもあったらしい。

妻の祖母は、妻が小学校低学年の時に亡くなったそうだが、幼いなりに「おばあちゃん、変だ」とは思っていたという。でも、周りの寛容な「しょうがないなあ」的雰囲気を感じ取り、そういう人もいるんだと納得していたらしい。

今は、核家族が当たり前になっている。それは「老いて認知症を患う人を見たことがない」状態も、普通にしたように思う。表面的には、そのお世話の煩わしさがなくなって良かったのかも知れない。

でも、負担が減ったと無邪気に喜んで良いのかは疑問である。もしかしたら、核家族化が人生の大きな経験機会を奪った、つまり弊害と捉えることもできるのではないかと思う。

「生老病死」は観音経にも出てくる「苦」である。核家族の働き盛りだった親も、いずれは老いる。その子が初老に差し掛かってから初めて、老いて認知症となった親と関わるのは、受容が相当困難になりがちである。だから、若い時分に経験しておいた方がよいのでは? と感じるのだ。

もちろん、その経験は楽ではない。でも、子どもの時であれば、多分今よりは柔軟に受け止められただろう……そう思う。

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