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虐待する前に手放したら良いのに

子どもに対する虐待事件が報道される度に、胸が痛む。

どんな子どもも、この世に生を受けた時には、羊水に包まれた環境からの激変に大いに戸惑い、どうして良いか分からずパニックをおこし、唯一できる「泣く」を全身全霊で実行する。

それは人間の特徴を表す最初の行動であろう。生まれた時にあそこまで大きな泣き声を上げる生き物は、他にいないのだから(大自然の中でそんなことをしたら肉食動物に見つかってその餌食になりやすい、という理由もあるのだろうが)。

泣くことにより肺が活動を始める。空気呼吸の始まりである。外界で生きるために欠くことができない生命維持の基本機能を、泣くという行為によって始動する「手順」になっている。この手順を進化の過程で得た人間って、素直に凄いなあと思う。

大抵の場合、赤ちゃんの産声を聞く人の表情は微笑んでいる。新たな命が仲間に加わったことを寿いでいるのだ。

虐待された子も、生まれてすぐに放置されたら生きていられないわけで(残念ながらそうされてしまう子もいるのだが)、しばらくは多少の不足はあれど、それなりに手を掛けてもらってきたはずである。

それなのに、数年の内にその子が泣く気力も湧かず精も根も尽き果てて、最悪は命を失ってしまう事態が起こってしまう。それは、あまりにも悲しいことだと思うのだ。

どのタイミングで、どのような理由で生まれた時の寿ぎの感情が消えたのかはわからない。でも、そうなった時に「親なんだから」と責め立てるだけでは、この手の悲しみがなくなることはないだろう。

道徳を前面に立てるより、手放せる環境や制度を整える方が良いのではなかろうか? 私は最近、そう考えるようになっている。

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