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人を批判できる自分は偉いという勘違い

私は最近帰宅時間が遅くなっていますが、間食をしなくなったせいか少し痩せてきました。それがいいことなのか? は分かりません。

さて……

最近のネットでは、人を批判する投稿記事が増えてきたように思う。私は「罪を憎んで人を憎まず」が基本ポリシーなので、個人の人格をターゲットにして批判することはできるだけ避けている(つもり)。

なぜ増えてきたのか? 確かに一般常識から見て褒められたものではない言動があることは否めない。

ただそれ以上に、批判する人の側に、自分の攻撃できる論旨を組み立てられる能力の高さと、正邪を見極められる判断力と、正義を背負ってその個体を糾弾できる正当性への執着があるのではなかろうか?

その姿勢をあからさまにするようでは、ただただ見苦しいばかり。何よりインターネットでは、物言わぬさまざまな人が見ていないようでその振る舞いを見ている。そして、一見正しそうな批判者の人格を見透かしている。

多くの人が指摘することであるが、攻撃する人は自身がその攻撃対象部分を弱点としている場合が多いということがある。そこを攻撃することで、自らの弱点を糊塗し、かつ批判対象よりも優位であることを示そうとする。

批判者は大抵の場合、自分がこのように見透かされていることに気付いていない。いわゆる「痛い」状態である。それでも、正義に染まると自らの言動を振り返って反省することもできなくなる。

ことほどさように、人間は自分が正しいと思いたがるものであり、そう思い込んでしまうと恥ずかしいほどに他者を批判するようになる。こうなると救いがないのであるが、正しさに酔った人間にはそれが伝わらない。

かくて批判は回り続けるのだけど、冷静に見ているサイレントマジョリティはそっとページを閉じて去ってしまう。それに気付き、自らの勘違いにも思いを致せるようになれば、更なる高みに昇ることもできように。

お読み頂き、ありがとうございました。

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