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進む認知症⑤(誰も悪くない、でも皆がツラい)

認知症患者との関わりを子どもの時に経験すべきでは? との思いが浮かぶのは、多分に感覚的なものだとは理解している。大人になってからのハシカが、時に命取りとなるくらいのダメージを与える。そんな感覚である。

私はもちろんだが、姉は私以上に強く心にダメージを負ったらしい。相対的に私より実家の近くに住んでおり、ちょっとした用事は姉が前面に立って処理してきた。だからこそ、娘としての認識が失われてしまったことを目の当たりにすれば、そうなるのも当然であろう。

ここで辛いのは、誰も悪くないこと。合成の誤謬という表現は格好良過ぎだが、母の認知能力が失われたことも、子が無理のない範囲で面会してきたことも、現実的に考えられる中では最良の環境を用意したことも、恐らく責められるべき点はない。

しかし、誰も悪くはないが、母も我々も双方が楽しくない思いを胸に抱える現状がある。それをどのように受け止めれば良いのかは、その解消法とともに全く解がない。

介護離職をするのは、後々我が身に返ってくると聞く。まだ義務教育の子どもがいる身では、その選択はあり得ない。

むしろ、スパッと解決できると考える方が無理がある。人生にはどうにもならないことというのはあって、これはその一つなのだと理解して受け止めるしかないのだろう。

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