見出し画像

「人を勝手に分析しない」〜ポジティブマインドのベースって謙虚さじゃねという話〜


絶賛病み期な私で、人の言ったこと全部疑ってかかってしまい、被害妄想が止まらないまま、鬱々とした時間を過ごしてたのですが、

わーんわーんとなってる時は流石に自分病んでるな〜て思うんだけど、

そういう分かりやすく情緒不安定じゃない時間は、病んでることに自覚がなく、他人に対する自分の見解を本当に他人が思ってることだと錯覚してしまうことが、あるなあって思ったんですよ。

という話をしたいです。(コピーライターとは思えない一文めの長さ)

で、タイトルの「人を勝手に分析しない。」という話に戻るのですが。

これは、その、いわゆるメンヘラの「私なんてどうでも良いんでしょ!!」的な被害妄想のことを言ってるわけではなくて。

もっと面倒でややこしい性質なのだけど。

私は心理学が好きで、どんな時に人は何を思うのか、考えたり調べたりするのが好きです。

そのことから、他人の言動を必要以上に、こういう心理状態のもと、こう思ってるんだろうなって分析してしまう癖があったりするんです。

例えば、恋愛ができないと言ってる子は、なんでそう思って、どうして人を好きになれない感情に至ってしまうのか、それは自己肯定感の低さからくるものか、育った環境?近くにいる人の影響?
とか、そんな感じで。

で!デ!DE!

そういう分析・思考癖があるとです。

ほーんとうに無意識に、
人が自分に対して言った言葉を、自分が分析した相手の心理状況というフィルターを通して受け取ってしまったりするのです。

勝手にその人に対して、その人の心理課題を見出して、その心理状況の中から発された言葉だと受け取ってしまうのです。

うーん、例を挙げないと分かりにくい。

例えばうちの親。
まー口が悪い。私が何かするにつけて、なんか一言余計なことを言わないと気が済まんのかい、というようなコメントが多いやら多いやら。(褒める時は褒めるけど)

それに対して私は、これだけ捻くれてるのは、本当はきっと自信がないんだろうな。自分のコンプレックスを刺激するものは認められないんだろうなあなんて分析して、自己肯定感のなさから来るものという前提で、そのコメントの本音を考えて受け止めようとしてしまったりする。

これ以外にも、友達が自分に対してありがとうと言ったけど、この子は自分に厳しく人に求めない子だから、状況的に、あなたが私に出来ることはありませんのありがとうだろうなぁとか。

今の大丈夫は、表情の動き的に大丈夫ではない、大丈夫だったな。とか。

頑張るって言ってたけど、その人の性格的に本当はやりたくなくて気を遣ってるんだろうなとか。

この人は、繊細な人だから、私が言った言葉の裏を呼んで、今この発言をしてるんだろうなとか。

完璧主義なあの人が言う頑張ってるねは、本当は思ってないし、もっと頑張れなんだろうなとか。

こんな癖を、想像力があるやら、無意識に他人の気持ちをスポンジのように吸収してしまう繊細な人間なのである。

と評価してしまえば、

優しくて人思いな人だと聞こえるが、そうではない。

私が考えてる相手の感情なんて、なんの根拠もないもので、

自分のフィルターを通して他人のことを勝手に決めつけてるだけにすぎないのに、

観察者気取りカウンセラー気取りで、自分をポジショニングして、弱者ネガティブなフリをして本当は傲慢な上から目線でしかないのです。

そして、結局全て他人の目線だと思い込んだ自分の目線でしかなく、どこまでも自己評価でしかないのやと。

こうやって書くとまた、捻くれた自分が湧き上がってきて、
他人はこの記事を見たら、
そう言ってネガティブに自分を評価すれば、
謙虚に見えるからそう書くんでしょう?て思うだろうなって考えちゃうんだけど、これも勝手な想像。

そんで。

確かに、相手を慮ることは大切で、人の言葉を言葉通り受け取って何も考えないというのは良くないけど。

必要以上な分析をするのは、
上から目線で良くないしやめた方がいいなと反省しました。

どうして私が想像した通りに他人が思ってるなんて決めつけられるのか。

私が考えられる範疇に相手がいるなんて、
そんな相手は単純で簡単な人間だなんて、なんで私が決めつけて良いのか。

そもそも私だって、
私を勝手にはかられたくないって書いてましたよね、
自分が人にやってどうするんだよーーて話ですね。

そう思ったら。
言われたこと以外の人の気持ちを勝手に良くない方向にアレコレ想像しない。
人は人、自分は自分と線引きできて、強い気持ちでポジティブにいられると言うのは、
冷たいとかワガママなんじゃなくて、人を上から目線で観察しない、決めつけない謙虚さがベースにあったんだなあなんて思ったのです。

だからね。
良いことを言われたら、
言われたことを信じることが大切だし。
やなことを言われたら、
なんでとか、相手が間違ってるとか無理やり思い込むとかじゃなくて、
あなたはそう思うのは分かった。でも、
私はそう思わない。以上。で良いんだな。
て思ったんだよ。

たとえ本当に相手が本心じゃなくて、気を遣った言葉だったり。意図があって放った言葉でも。

分からないことをわざわざ悪い方向に考えるのは勿体無いし。

相手が大切なら相手のその言葉そのものを信じることが、
誠実な姿勢なのではないかと思ったのです。

てか、大切な人の言った言葉が、そのとき気を遣ったものや、嘘だとしても。
私の信じる気持ちが相手に伝わったときに、
何かが伝われば良いなと思うし。

相手が不誠実な態度で接してくるなら、切れば良い。

私が他人を勝手に分析しないのと同じように、
相手が私を分析して上から目線をするのは、違うと思って良いだろう。

私が私を認めるなら、大切な人でも誰であっても私を勝手に下に見るのを許さない。
許さなくて良い。

そして、大切な人が、私のことを認めてくれないと思うことがあった時。
無理やり相手を自分が理解できる心理状態に当てはめなくて良い。本心で偽りなく負の感情を抱かれていたとしても。それは相手の自由であり、逆にだからといって私が私を嫌わなくて良い。それが例え自分の親や家族だとしても。

そのことを真に心からそう思うためには、
誰も信じないことで自分を守るんじゃなくて、
誰かを信じると決めた強い意志と謙虚さが必要で、その覚悟が、自信を下支えしてるんだなと思ったんです。

なーんて。
色々また考えて。

でも、やっぱり他人の言葉に影響を受けやすいから、ネガティブな言葉を言われたら落ち込むし。
空気読んで立ち回っちゃう癖はなかなか変わらないと思うけど。

少しずつゆっくり、
言葉を素直に受け取り、信じきる強さを身につけていけたら良いなと。思いました。

と言う話でした。

以上おしまい!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?