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『バチェロレッテ』福田萌子のヒールターンが残したもの

※バチェロレッテ最終話までのネタバレを含みます。本編をご覧になっていない方はここで引き返し、必ず先に本編をご覧くださいませ。


11月30日金曜未明に配信開始となったバチェロレッテの最終エピソードは、週明けに友人を家に招いて一緒に鑑賞することになっていたので、週末はネタバレに遭遇するのを回避しながら過ごした。結果、SNSを含むほぼ全てのネット環境を断つことになったが、何とか結末に関する情報に出会うことなく本編を見ることができた。

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名作である。バチェラーシリーズ史上最高傑作だという本コンテンツに対する私の評価は揺らいでいない。

二人の主役、福田萌子さんと杉田陽平さん(多くの魅力的な出演者に敬意を払いつつ、代替が利かないという点ではこの二人が圧倒的だった)が尖った個性と魅力で物語を牽引し、何よりも、リアリティーショーは実にリアルなのだと教えてくれた。いくつかの演出的な見せ場作りに出演者が協力することはあったとしても、これは台本のない本気のセメントマッチなのだという事が痛いほど感じられ、それが故に目を逸らすことが出来ず、心底引き込まれた。

前三作のバチェラーは皆、それぞれの解釈で「完璧な独身男性バチェラー」を少なからず演じていた部分があったように思う。(第三シーズンの友永氏は途中から繕うことができなくなった訳だが)その中にあって、福田萌子さんは最初から最後まで「バチェロレッテ」を演じようとはせず、あくまで「福田萌子」として、自身のありのままでカメラの前に立つことを厭わなかった。対する杉田陽平さんも、売れっ子現代画家という煌びやかな肩書がありながら、36歳にしてなりふり構わずに片思いに悩む姿、回を追うごとに男としての魅力が増していく様、そして彼の泥臭くもロマンチックなアプローチは、制作側の演出意図を大きく超えていた。彼らが本気だからこそ、我々良い歳した大人の視聴者が他人の好いた惚れたに夢中になり、共に旅をしている気分になれたのだ。

こんなにも良質なエンタメを、ありがとう。

私の出演者と制作側への感謝に、嘘はない。

ただ、やはり考えたい。萌子の結論がおよそ納得しにくい理由と、一体何が彼女をあの結末に向かわせたのかについて。

最終エピソードとアフターローズのスタジオトークを観てから、萌子さんに対する評価が大きく変わった視聴者も多かったのではないだろうか。「芯の通った強い女性」から「頑なでそのくせナイーブすぎる世間知らずな女」へ、彼女の示した女性像に憧れた女性視聴者ほど、そのイメージは180度変わり、番組としてのルールを振りかざして反発しているように見える。

そう、最終話にして、福田萌子は印象的にヒールターンを遂げて見せたのだ。女性が憧れる女性、最高のベビーフェイスから、一気にヘイトを集める言動を繰り返すヒールへ転換した。(最終話目前のスタジオトークで着用されていた黒レースのボディスーツ衣装はマジで悪役レスラーみを感じた)

ただ、彼女は最終局面で一夜にして内面が変わってしまったわけではない。彼女の際立った個性や魅力は、もともと大変に脆く、アンバランスな状態だった。彼女がそれを中盤まで魅力として振りまくことが出来ていたのは、必死に奮い立たせていた自信や、その基盤となる積み重ねてきた努力の賜物だったと感じる。

どんな衣装も似合う抜群のプロポーションは勿論、相手の真意を汲み上げる会話術や、どんな文化の人とでも心を通じ合わせることが出来る知識の豊富さや言語能力。それらが十二分に印象つけられた中盤までの展開では、萌子は自信に満ちており、それ故に彼女のパーソナリティは全てプラスに解釈されていた。ただ、後半になるにつれ、彼女の恐らく唯一自信が揺らぐポイントが明らかになる。

「恋」に全く自信がなく、極端に憶病なのだ。

この理由は最終話で少し明かされるが、黄皓さんとの最後のデートで話題に上った「束縛癖があるコンプ持ち彼氏」と、杉ちゃんに泣きながら話した「割と最近失ってしまった愛」は多分別の男なのだろう。いずれも最後のアピールタイムというタイミングで昔の男のトラウマを涙目で吐露される男性陣二人は気の毒でしょうがなかったが、それほどまでに萌子にとっては失恋のダメージが大きかったという事なのだろう。男も女も30を超えるころには、手痛い失恋の記憶の一つや二つはあるし、思い出して泣きたい気分になる夜もあって普通だと思う。だが、萌子にとってこれらの経験は、常人よりも深手になっているのは強く感じられた。

今まで周囲から美しく、聡明だと言われ続け、彼女もそれに答えるように努力を重ねて自分を磨き上げてきた自負があるからこそ、失恋で自分を全否定されるような挫折感を味わってしまったのか。

あるいは、事あるごとに両親に一目惚れの恋愛結婚の思い出を聞かされ続けた結果、この上なく幸せ(なように見える)な両親と比べてしまい、恋愛を成就させられない自分に対して劣等感が募ったのか。

本当の理由は定かではないが、物語の後半、出演者に問われるものが「誠実さ」や「番組への真剣度」や「人間的魅力」から、「愛し愛されること」に変化していくにしがって、萌子は自信を失い、涙を流すことが増えていったように思う。スタジオトークで矢部氏が「寝ていないと思った」と口にしたが、ファイナルローズセレモニーの老け込みようは確かに見ていて辛くなるほどだった。序盤のシーンのVTRではあんなに溌溂と輝いているのに。

そして最終盤にして萌子のバランスは完全に崩れ、彼女のパーソナリティから受ける印象は一気に反転した。

「筋の通った芯の強さ」は、「変化に怯える頑迷さ」へ。

「忖度を嫌う正直さ」は、「洒落の通じぬ空気の読めなさ」へ。

「思いを真っすぐに伝える率直さ」は、「他人の敏感な部分に土足で踏み入る鈍感さ」へ。(藤井さんへの「外見コンプレックス」は言う必要あったのか)

そして、彼女の魅力を際立たせていた豊富な語彙力は、ついに自身の本音を語ることは無かった。

「結婚相手としては見られない」も「傷つけたくなかった」も本心ではないだろう。彼女はどうしても。何があっても。「傷つきたくなかった」のだった。もっとシンプルに言えば「もう二度と振られたくない」のだった。

黄皓さんと結ばれれば、近い将来、思いが強い方の自分が傷つくことがわかっていたし、杉ちゃんほどの強い愛は、いつか失われていき、その過程で、またここでも自分が傷つくことを萌子は予測していたのだと思う。

Amazonが選定したあの17名の男性陣のレベルについての批判も目にするが、それがこの結末を招いたわけではない。萌子はまだ形振り構わずに「真実の愛を追い求める」準備ができていなかっただけの話である。誰が来ても結果は恐らく同じだっただろう。

その弱さをさらけ出すことが出来たなら、ノーローズという結末は同じでも、反響は違っただろう。頑なに「強い福田萌子を守り抜くこと」に固執したが故に、あのスタジオトークのやり切れない空気が生まれ、彼女は見事ヒールに転向したのだった。

兎にも角にも、福田萌子さんは、彼女の示す「強さ」や「正直さ」がいかに脆く儚く、守るために犠牲を払わなくてはいけないかを私たちに教えてくれた。他人に尊敬されたり、憧れられたり、愛されたり、ベビーフェイスなだけでは守れない。愛する男に背を向け傷つけ、糾弾され、ヘイトを集めながらも「私の物語なのだ」とファイティングポーズを取り続けるしか道は無いのだ。

だからこそ、なおさら尊いと思わずにはいられない。

旅を共に生きた出演者皆に、幸あれ。この「幸」は何も幸せな恋愛の末に平穏な結婚をすることだけを言っているのではない。一人一人の人生である。生きづらくとも。

自分らしさを全うしようとした出演者と、旅を共にした全ての人へ、オリジナルの幸あれ。


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