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神についての議論

「あなたは神について信じますか?」

古代より現代まで、様々に議論されてきた論題。
結論から言うと私は無神論者です。
ちなみに無神論者は神の存在を否定するのではなく、この世への神の介在をないものとする考え方らしいです。

なぜ神について話すかというと、とうとう神にすがるしか現し世に希望を持てなくなったわけではなく、私みたいな【自己肯定感が低い】【卑屈】【なんでもないことを熟考するのが好き】【高二病】な人間は必ず大学生までに神について論じたくなるんです。
どういった精神で物事を捉えると、上記挙げたような性格になるのか記して振り返って見たくなったという、精神版ターヘル・アナトミアなわけです。

神について考えた日

私は学生時代からキリスト教の学校に通い、新旧訳聖書を読んでおりました。
また、高校生の時に高二病患者が大好きな倫理の授業でフロイト、ロック、ニーチェ、キルケゴールなど学んだことがきっかけでした。
17-18歳には垂涎ものの授業であり、多くの高校生は倫理の授業で性格を歪めると個人的には思っています。

倫理の授業で神はいるかどうかについて感想を書く機会があり、私は神はいない/手を下さないと思う、と書いた覚えがあります。

「神がいるのであれば、その公平性を以って全ての者に平等に機会が与えられるはずである。しかし、人の中には産まれて間もなく一生を潰える者や産まれてこない者さえいる。そもそも産まれてきて、自ら選択をする間もなく死ぬというのは平等の上に生きると言えないのではないか。平等とは即ち選択ができる事だと思い、その選択すら与えられない者がいるため神はいないと思う。」

こんな事を書き、教師からは「君にはキルケゴールかニーチェを勧めます」とコメントをもらった記憶があります。

神様のパラドクス

そもそも神って何か。神という対象を細かに解体していくとパラドクスに陥ります。

・神は全知全能であり、その権能は人の想像を超えるものである
・人は神を理解することが出来ない。なぜなら神は人の想像を超えるため
・神は人に観測されて神としての輪郭を形どる

つまり、神は人の想像を超えるため、我々人が神と思っているものは想像できているため神でない。じゃあ神ってなんだろ。。。そもそも神ってなんだって考えて出てくる答えは我々の想像の域から出ないため、それは神ではなくなるのでは?という矛盾に気がつくわけです。

結局信じるものは何か

人が祈るとき、それは大体未来についてが多いと思います。
人は将来おこりうる結果を偶像崇拝し、祈るのではないか

だから悲観的な人間は結果が最悪と予想し、祈ることをしない。だから私は神を信じることが出来ない。なぜなら悲観的なので。
という思考なわけです。
信じるのは常に自分の運の無さと、たまに湧いて出る自信だけ。

これを見て頷いた貴方は自己肯定感が低いかもしれませんね。
残念です。こちら側へようこそ。

処方箋はひたすら自己分解をすることです。自分を解体し、俯瞰して見ることで何を考え、何に喜び、何に期待をするのかが分かり、過度な期待や失望をしなくなるかと思います。

ありきたりですが、"自分を一番理解できるのは自分であり、信じることが出来るのも自分である"
だから私は自分の無能さや怠惰、運の無さを誰よりも信じてやまない。

余談

とはいっても神を全否定はしません。
受験のときは神に祈りましたし、毎年神社にお参りにいきますし、、、なんだかんだで生活に神を受け入れてしまっている現代。

すがりたいときにすがり、信じたいときに信じる。コンビニみたいだなぁ。

神様も人知れず信仰で人を救っておられるので凄い偉業なわけで、ただ薬と信仰は、オーバードーズだけは控えたほうが良いかなと。



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