離島の人生─沖縄 座間味島でのフィールドワーク
研究の一環として、2024年9月5日から9日の5日間、沖縄県の離島、座間味(ザマミ)村で数名の方の生活史を聞いてきた。備忘録的に、座間味の景色を少しばかり残していく。
今回は、60代後半から最長年は99歳の方にお話を聞いた。図らずも、21歳の迷える子羊である私に響いたことばや、きっとずっとずっと忘れないであろう情景がたくさんあったので、とてつもなく個人的な話になる予感がするが、つらつらと書いていく。
生活史との出会い 社会学との出会い
生活史とは、社会学や人類学で用いられる調査の手法のこと。「ライフヒストリー」ともいう。個人の人生を語りやその他の資料によって捉えようとする試みであるが、必ずしも学問の上で分析したり、そこから何か主張したりするわけではない。
遡ること2019年、高校2年生の私は、岸政彦先生の『断片的なものの社会学』という本に出会い、個人の語りから社会を考えることができること、そしてそれらを実践している研究者がいることに感銘を受けた。
かなり割愛するが、そこから岸先生を高校の図書館講演会にお呼びし、『東京の生活史』というプロジェクトに参加させてもらい、先生の授業に潜りに京都まで行くようになった。
そこから、個人的にも社会学を学び続け、生活史ではないが、インタビューに基づいて論文(もどき)を書いたり、アメリカの社会学を学ぶべく1年間留学したりもした。
一冊の本が人生を変えることはあるのか? という質問があれば、私は腹の底から「はい!」と答えるだろう。
2022年に発売された『東京の生活史』では、150人中一人の聞き手として、東京で音楽を続ける大学生の方にインタビューをした。
タイトル「自分の歌を好んで聴いてくれるひとがまだ世の中におったんやっていう気持ちになって、すごいうれしくて」(聞き手:大久保理子)
そして沖縄へ
これまでたまたま、中・高の修学旅行などで沖縄にいくチャンスは複数回あったが、やはり沖縄戦や戦後の話を聞く機会はなかなかなく、戦争体験者の高齢化に伴って語り部さんたちが減少しているということは随分前から聞いていた。
そしてついに、学部生最後の夏に沖縄での生活史調査が叶うことになった。
座間味という場所
座間味村は、那覇から南にフェリーで1時間半の場所にある、人口約900人の離島。
メインの産業は観光業で、とにかく海が美しい。夏場はシュノーケリング・ダイビング、そして冬はクジラを見ることができるらしい。
海も想像を超えてきたけれど、夜に見た星空の感動を表すには、私の語彙は足りない。
生活史はプライバシーそのものでもあるので、ここで詳細はかけないが、沖縄の離島で、ある人は戦前に、ある人は戦後に生まれ、人生のほとんどの時間をこの島で過ごした。
1日目は、海の見える老人ホームで99歳の女性の生活史を聞いた。
大戦前にパラオに出稼ぎに行っていた話、
1944年夏、集団自決の手前・みんなで輪になったけどおばあさんが逃走したから実行されなかった話、
あるとき島にたまたま海軍と陸軍が居合わせた際、海軍の兄と陸軍の弟が一瞬だけ抱き合っていたのを目撃した話。
1972年、沖縄県が日本に復帰したとき、
日米どちらに属すかなんてどうでもよくて「ただ戦争さえなければなんでもよかった」ということばが重かった。
わたしも大学で政治学(国際関係学)を学んでいるわけだが、机の上で勉強しているだけでは、そういうことを簡単に忘れてしまう。
彼女の語りをすぐに消化することはできないけれど、まずは自分のことばで、沖縄戦のお話をしてくださる99歳の方に直接出会えたことは本当に幸運だと思う。
2日目は、村長さんを表敬訪問し、島の現状や課題などについて伺ったが、非常に勉強になった。
わたしは社会学、つまり社会について学んでいるので、旅行先でも、その土地の社会のシステムとか、(広義の)社会問題とか、人々がどんなふうに生活をしているのか、いつも強い関心を持っている。だから、その街のリーダーから、そんな話を伺えるなんて、わたしにとっては願ってもないチャンスだった。
生活史も2人の方から聞いた。
話の内容はもちろんだが、クーラーの聞いてない部屋であったため、途中からじんわり汗をかいてきて、ペットボトルの水で首を冷やしていたら、何回りも上の語り手の方に「だいじょうぶ? あつい?」と心配されてしまったことを覚えている。
島の人はつよい。佇まいや語りの各所から、苦労してきたひとにしかないであろうどっしりと構えた感じが伝わってきてとてもかっこよかった。
都心型クーラー生活に慣れているモヤシのようなわたしには、9月の沖縄の日差しは本当に強かった。
3日目も、ある方から話を聞いた。沖縄本島と離島を何度も行ったりきたりしていて、しばらく座間味島でお仕事をされているが、ご家族はみんな沖縄本島にいるという方だった。
生まれ育った、両親のいる座間味島に落ち着くのか、それとも配偶者がいて、子どもの教育の選択肢が多い沖縄本島に落ち着くのか、ずっと迷っていたし、引退を控えた今でも次はどうしようかと迷っているということをおっしゃっていた。
一旦、座間味島で働くことを決断した際も「フェリーに乗っていて、ふと、座間味に戻ろうと腑に落ちた瞬間があった」とおっしゃっていた。
わたし自身も、1年間の留学から帰ってきて、これからどんな場所で人生を切り開いていこうかということをずっと考えているように思う。
でも、その方のように、70代になっても、どこに住むべきかを決め切ることはできないのか。ずっとずっと迷って、でもなんとなく決めることになる瞬間があるのかと思うと、かなり気持ちが楽になった。
もちろん、沖縄本島と離島の狭間で揺れる彼と、ふるさと富山か東京、あるいは海外かというわたしの悩みの内容は全く違うものではあるけれど。
こんなにシンプルに話をまとめて良いものかわからないけれど、
人は、自らの人生の、限られた選択肢の中で、少しでもよく生きようと必死で選択を続けているのだなと思った。
帰り際に、一緒に調査をした悩める大学院生も「今回、高齢者の方にいろいろ聞いて、自分の人生もどうにかなるかなと思えた」というようなことをしみじみ、でもさらっとおっしゃっていて、その気持ちよくわかる。と思った。
海外に住む友人からは、"I always feel interested in listening to others' stories also! Enjoy the process!"(私もいつも他の人の話を聞くことに興味を持ってる! 楽しんでね!)と連絡が来たので、
"Thanks, it won’t be my main paid job, but it will definitely be a lifelong passion!” (本業にはならないけれど、間違いなく一生やり続けたいことになると思う!)というような返事をした。
つまりそういうことだ。
これからもひとの話を聞くことのおもしろさを、自分なりにたのしんでいきたい。
そして、今回の報告書もいいものにしたい!
そして、また近い将来、座間味島に話を聞きに再訪したい。今回は高齢の方が多かったが、別の世代に話を聞くことで立ち上がる世界もきっとあるだろう。
最後に、これまでの経験について語ってくださった座間味の方々、そしてこの機会をくださった岸先生、和さん、一緒に行ってくれた院生への感謝が込み上げてきた。
先生たちには、恥ずかしいからこの文章は読まれたくないけど(笑)。
私はもうすぐ大学を出て、4月から働きはじめる。すると、お金や時間に対するいろんな感覚も変わるだろうし、きっと同じような時間は過ごせないんだろうなと思う。
本当に貴重な時間を過ごさせていただいたことに感謝します。