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支援の壁は 心の壁

先日 ひとり親家庭向けのフードパントリーを開設するにあたっての会議があった。

配布対象者の基準について議案の内容が移った時のこと。
『本当に必要な人に必要な分の食材がきちんと回るように』
という趣旨で 児童扶養手当受給資格者証の提示の有無について話し合っていたのだが
その時の ご自身も母子家庭だけど、支援する側でもある方の言葉が すごく引っかかった。


『受給者資格証を提示してまで支援を受けたくない。』
『言い方悪いけど負け組だと認めるようで屈辱的だ。』
『周りに知れ渡ったらいじめの対象になる。』

。。。

久々に聞いた 自己否定と劣等感のオンパレード。
あぁ まだまだ緩めていく必要が この世の中にはあるんだなぁ...と痛感した。

ひとり親家庭??全然いいじゃない。
離婚理由??そんなの関係ないよ。

1人で子どもを育てて さらに生活を回してるってだけで充分立派だよ。

それを自分が受け入れられなくて劣等感を感じてると
子どももその影響を受けて無意識に劣等感を感じる。
母子家庭が原因でいじめられるんじゃない。
その劣等感から生まれた解釈や行動が いじめを派生させたりするんだ。
その劣等感が ターゲットになるんだ。

どんどん色んな人に頼って生きていけばいい。
頼って欲しいと思ってる人が 世の中にはいるんだから。
力になりたいと思ってくれてる人が いるんだから。


ましてや その人こそ 自分が支援する側の立場でもあるのだ。
おいおい。
そんな思いで支援活動してんのか??
本当に助けたいのは 自分のような1人で頑張るシングル家庭じゃないのか??


外野の声??気にすんな。
隣の家の工事のノイズみたいなもんだ。
あなたが過ごす家を快適にするために工事してくれてるわけじゃない。
自分より下がいる と見下して 優越感に浸ることでしか 自分の心を快適に保てない、低レベルなマウンティングでしかないのだ。


どこにいたって騒音はある。
波の音が嫌いな人もいれば
鳥の声が騒音に思う人もいる。

そんなの自分の心の余裕の問題だ。
だったら 余裕を生めばいい。
好きな音で上書きすればいい。
好きな言葉で上書きすればいい。

そこに居続けるクセに 騒音に文句を言うなんて
ウンコを握ってるくせに 『ハエがウザイ』『なんか臭い』と 喚いているようなものだ。
その手の中の物を 手放せば済むものを。
後生大事に握りしめて 自ら文句を言ってるなんて なんてお粗末なのだ。
低レベルなマウンティングゴリラと同レベルなのだ。

さっさと『1抜けた♪』と
そんな低レベル争いからは抜け出し
とっととその場で出来る自分の快適を探った方がいい。

好きな音楽でも流して 踊り明かして
好きな映画に 夢中になって
アホみたいな話をして笑い転げて
疲れたら眠ったらいい。

あなたはあなたが快適に居られることに とにかく集中すればいい。


とはいえ 彼女がどれほど周りの言葉に傷付いてきたのかは
自分の経験からも 痛いほどよく分かる。
ひとり親だから受給できる児童扶養手当を
ただただ貰える今回の定額給付金のように勘違いしている人もいるだろう。
『何にもしてないのに貰えていいなぁ。私も籍だけ抜いたら貰えるのかな。』
とかは まだ良い方で
『その手当 うちらの税金から出てるんだよね。』
とか
『好きで離婚したくせに。』
『考え無しに安易に離婚するから。』
とか
自分が貰えないから悔しいのか
ラクして貰えているように見えるのかなんなのか知らないが
それはそれは 想像力が欠如しまくった 猿レベルのお言葉が並んだこともあったからだ。


傷の分だけ 人は鎧を着込もうとする。
心に着込んだ鎧は 知らず知らずに定着化し
いつの間にかその様相は巨大化していく。
内側の自分が大きくなったわけではないのに
大きくなったかのような勘違いと ありのままの自分とのギャップに
また自分で自分の首を絞めて 身動きが取れにくくする。
そうしてどんどん『助けて!』と言いにくくしていく。
気軽に『助けて!』と言えるためには
鎧など脱いで ありのままのあなたで良いのだと
あなた自身が まずは認めることが大事なのだろうなと さらに痛感した 夜だった。

自分で心を閉ざしてしまったら 第三者はもう入り込めない。

せっかくの支援が その心の壁で 届かなくなってしまう。

心の壁の低さが 支援の壁を 取っ払ってくれるのだろう。