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生きるとは自分の物語をつくること。|Nozomi Ichikawa

市川望美と申します。

非営利型株式会社Polaris 取締役ファウンダーとして事業を行いながら、研究者でありまた、カラーセラピストとしてもひっそり活動しています。一人一人がのびやかに、はればれと、その存在感や持って生まれた多様な力を十全に発揮できる仕組みづくり、環境づくり、社会づくりができたらいいなあと願っています。

自分たちの事業の意味や意義を社会的にまとめるため、2016年4月立教大学大学院21世紀社会デザイン研究科の門をたたき2018年3月に修了。その後も社会デザイン研究所に残り、修士論文で題材として選んだ「ライフストーリー」研究を仲間とともに続けています。

私の修士論文『半分幸せの考察』の考察記事、「私たちは”選ばされて”いるのかもしれない。」をPolarisのnoteでも書いてあるので、よかったらこちらもあわせてご覧ください。

ライフキャリアの変遷

キャリアの変遷としては、ざっくり、以下3ステージ目という感じ。

20代・・・IT系企業でフルタイム勤務(一部上場企業)
30代・・・子育て支援NPO活動に従事(世田谷の子育てNPO)
40代・・・多様な働き方を支える仕組みづくり(現在のPolaris)

27歳で結婚、29歳の終わりに出産。約1年産育休取って戻らずに辞め、すぐに第2子出産。20代から30代にかかる数年は、年子の出産育児で専業主婦的な過ごし方もしました。

結婚した相手は会社の後輩だったので、きっと私が子どもを何人か産み育てている間に彼には追い抜かれていくだろうけど、仕事が好きな私はそれを果たして素直に受け止められるだろうか・・・。

とはいえ、同じ事業部で彼の仕事もよくわかるから、「営業だって私だって同じ立場なんだから家事も育児も対等にしてね!」という感じもなくて、「どう考えても私の方が色々調整しやすいだろうから私が家のこととかやることになるだろうなー」と思っていた。仕事ありきの対等さは求めてなかったなあ・・

でも、いざその時が来たら、それを快く思えるだろうか・・・とかも悩みました。

一方で、自分の母親は私が高校に行くまで家で仕事をしていたので、「お母さんが家にいること」「家で色々仕事をしていること」が日常風景でもあったので、「お母さんが家にいる、近くで仕事をしている」こともアリ、それもいいなあと思っていました。

結局あれこれ悩みはしたものの、2003年3月いっぱいで退職。「心から打ちこみたい仕事に出会うまでは仕事はしないでいいや、一生仕事を続けたいから今は一度やめよう」ということで、「育児離職」と「キャリアブランク」を経験しました。

退職後に出会った世界は思ったよりも面白くて、気がつけば18年が経っていた、という感じだし、今更会社勤めとかもう無理なんじゃないかと、環境的にも資質的にも思ったりしてはいますが、何が一番よかったのか振り返って考えてみると、「わたし自身がどう生きたいか」ということを考えるきっかけを沢山得られたということと、沢山の人の「生、ライフ」に出会えたということの2点に尽きるのではないかと思います。

生身の「生、ライフ」

役職とか肩書きとかではない、「丸腰のその人」と出会うことって、今までの人生の中で、実はあんまりなかった。だいたい何らかの肩書や役割を背負って、用意された文脈の中で出会っていた。

子育て期ってその世界とまったく異なる、本当に特別な時期で、いい大人があんな風にもがくようなことは、あまりないと思う。(介護など、身内のケアは同じかもですが) 

あれほど・・・とりつくろえないほどの感情むき出しの自分自身や、生身の「その人」に日々出会えることは二度とないのではないだろうか。私がいたNPOが、特にそういう場づくりをしていたからこそ出会えた感情なのだとも思っているけど。

前提の役割や文脈ありきで生きていると、不安で仕方がない。どうしたらいいかわからない。だれも正解を教えてくれない、そもそも正解なんてない。だけど、「丸腰」で「戦う」とか、そもそも「戦わなくていい」と思えたり「武装解除してその場にいる」ことができるようになると、新たな発見が山ほどあって、ほんとうにおもしろい。多様性は合理の真逆にあるから管理・コントロールは大変だけど、そのマインドから自由になれたら、創発の面白さがこの上ない。

いずれにしても、のべ何千人もの「こんなにも、生きている人たち」(w/日々成長する子ども)に出会って、ハレとケの「ケ」の意味を実感し、ああ、なんて今まで狭い世界で生きていたのだろう、こんなに知らないことがあったなんて、知らなかった・・(”知らない”を知る経験)と、感情が揺さぶられたり響き合う日々でした。

ライフストーリーとは、個人が生きてきたライフ(人生、生涯、生活、生き方)についての物語のことであり、いくつかの出来事を結び付けて筋立てる行為のことですが、まさに、子育てひろばやコミュニティカフェで聞いたり、話したりした「生身の人が発する生きた言葉」や、「丸腰のその人たちから立ち現れた、漏れた言葉」たちは、「ライフストーリー」なのでしょう。

人見知りの私が、この業界に長くいることになったのは、ライフストーリーが持つ、人を揺さぶり結び付ける力によって、トラワレテしまったのだと思います。

「恵まれているひとたち」による「贅沢な悩み」

そして、このテーマで修士論文を書こうと思った背景には、「恵まれている人たち」という言葉で切り捨てられてしまう経験をたくさんしてきた、ということがあります。

私は、いわゆる「主婦」「ママ」と呼ばれる人たちが働く仕組みづくりなどに携わってきていて、最初論文は、「ソーシャルイノベーション」や「サードプレイス」「新しい経済」といったテーマで書きたいと思っていた。

色々な人に意見をもらおうとして、着想のきっかけなどを説明するのだけど、「恵まれた主婦たち」という「ラベル」が邪魔をしてなかなか本編にたどりつけないことも多かった。

彼女たちの「ライフ」の中で起こる様々な苦悩や葛藤、そこからの学びや成長などの話をしたくても、「でも、そもそもこの時代に主婦ができているってことはしっかり稼ぐ旦那さんがいるんですよね」とか、「はたらき方を選べないシングルマザーの気持ち分かりますか!」とか「何か特別な理由がないと働けないんですか?」というような「恵まれた人たちによる贅沢な悩み」と言われることが本当に多かった。

一人一人が生きてきた経験、言葉には、様々な価値があるのに、分断されてしまって「物語」を手に取って開いてもらうことすらできない。

確かに、私自身も、育児をきっかけに仕事を離れたけれど、それは、安定して働くパートナーがいたからできた決断かもしれない。「いったんやめて子育てしながら考えよう」と言えるのは、ぜいたくなのかもしれない。

子育てをしながら、地域活動や起業をした。両親も近くに住んでいて、色々サポートもしてもらえて、「好きなこと、やりたいこと」に挑戦できた。それはやっぱり、「恵まれた人」なのかもしれない。

だけど、「それ」で終わらせてしまっていいのだろうか。それぞれの生きたライフ、抱える葛藤は、どこに行ってしまうのか?

もっと、手前の段階を研究しなくてはいけない。伝えなければならない。そのために「ライフストーリー」という手法は、大きな可能性があるのではないか。知ってもらう手段としても、分断に橋を架ける手法としても。

そんな風に思って、そもそも書こうと思っていた論文の序章よりもずっと手前の段階で、修士論文を書くことに決めたのでした。

苦労を比較したいわけではない

恵まれていることを否定したり、苦労を比較したいわけではない。それぞれの環境で、生きている人生の中で起こる出来事、その向こうにある意味を理解し合うことができれば、社会のありようも見えてくるのではないか。

異なる立場の人たちが近寄って共に考えることができるのではないか。そのために、「ライフストーリー」が持つ力を研究し、シェアしたい。

そんな風に考えるようになって今に至ります。

ライフストーリーは、人を揺さぶり、つなぐ力があるから。語りは語りを呼び、今まで口にできなかった想いが現れたり、新しい視点を獲得して、新しい物語をうみだす力があるから。

 

『生きるとは自分の物語をつくること』

この言葉は、この本から。『人々の悩みに寄り添い、個人の物語に耳を澄まし続けた臨床心理学者と、静謐でひそやかな小説世界を紡ぎ続ける作家』の対談で、「ライフストーリー」そのものについて書かれた本ではありませんが、「生きる」ということ、「生きていく」「生きている」ということについて温かな気持ちで受け止められる本です。魂のある所に物語がある。

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『厳密さと曖昧さの共存』(河合先生のことば)
論理的に矛盾するものを持たないといけない
共存させる人生観、世界観 
命というものはそもそも矛盾をはらんでいる
の矛盾こそが個性、その矛盾を私はこう生きました、というところに個性が光る。矛盾との折り合いのつけ方にこそ、その人の個性が発揮される。 
個人を支えるのが物語。個が生きるから物語になる。

あとがきで、小川洋子さんは、ご自分がかいた3枚のメモについて紹介をしています。

[個人と物語][人類と物語][国家・社会と物語]
“個人が内面の混沌を物語の形で受け入れるのと同じように、国家や社会もまた、その集団の根底に横たわる不安や不満や傷や憂いを言葉で表現することにより、対立相手集団と歩み寄れるのでは?そのような社会的役割を物語が果たす可能性について”

私たち研究会が探究したいことも、おそらくそういうことなのです。

異なる立場、主義主張があまたある中、どちらがどうとかではなく、様々な混沌を受け入れ、歩み寄る可能性として、物語はとても素敵だとおもっております。

また、修士論文を書くときに、色々な人にインタビューをさせてもらったのだけど、ある女性が、2人目の子どもを生んだ後になってはじめて、お母さんに「私はあなたの物語の登場人物じゃない!」って言えたんですよ、と笑っておられたことも、とても印象に残っています。

自分のライフ(の物語)なのに、お母さんの物語に吸収をされていたことに気がつくーー。誰かに筋書きを握られてしまっているときは、自分の物語を、取り戻さなくてはいけない。

生きるとは、自分の物語をつくることなのです。


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